20130813

函館2013 その1送水口編



2013年夏。
函館に行って参りました。

出発予定時刻最終許容ラインの15分前に徹夜明けで帰宅した家族を追い立てるように出発。無事函館空港に着きました。

というわけで函館空港の送水口。新品です。採水口もここに一つありますが、


中央付近、そして反対側にも採水口のみありました。こちらもステンレス。


 函館は昭和はじめに大きな火災を経験したそうです。風が吹き荒れ、甚大な被害が出たということでした。まちの悲しい歴史ですが、函館の人々はそれを克服してきています。その一つが多くの耐火的な建築。
 それは高層化ビル建築の許可前なので時代的にも建築的にももともと送水口はついていません。それらの建物が残っているこのまちは思いっきりレトロな送水口はないだろうとの見通しをもっておりました。
 というわけで狙い目は昭和50年代付近のがっちり系送水口です。

 まずは駅前。

中央はひとつ潰しているようですが、(もしかしたら一口の採水口があった?)あまり見ない色のプレートの送水口がありました。
「下○のプ」。差込式で錆は来ているものの、蓋だけはあとからつけたようです。鎖を繋ぐ部品がかっこいいです。


検査証に「北海道」の文字。北の国に来たのだなあと実感しました。



駅前からもう一つ。赤キャップ発見。


 さて、結果から言うと、今回の函館では予想通り真鍮で金色ぴかぴかのものや、大きな馬蹄形というか逆瓢箪型のプレートのものにはであいませんでした。

 しかし、素敵だなあと思う送水口はたくさんありました。なのでご報告いたします。





【丁寧な配置(位置・系統)図たち】

 ↑それぞれの階ごとの放水口の位置が送水口の横に掲示されていました。
 送水口、採水口、そして放水口の場所は事前に当該消防署・出張所が把握しているそうですが、それをきちんと表示しているということは居住者向けなのでしょうか。観察する人にとっても嬉しいです。(東京の老舗百貨店でもやってほしい。)


 これ↓も放水口の位置がわかる例。(赤プレートの方は消えていますが)
 送水口のアイコンがスタンダードなものと多少違う(角部分がTでなく+)のと、放水口のアイコンが消火栓のようであるということはありますが、全ての階について書いているのが素晴らしい。


もうひとつ。「市電通り」の文字がぐっと来ます。函館送水口。


 スプリンクラー系統図ではないのです。あくまでも連結送水管送水口の系統図。
 丁寧・・・!


【自立型の接続口付近いろいろ】
 
  隙間。
 

 おそらく後付けのステンレス枠。

次は函館の老舗百貨店、丸井今井のもので昭和49年製の物件です。
二つともちょっと短めですが。






左:スプリンクラー用は錆びている鎖。針金で緩んだ接続口の補修もあり、ごつごつ感が高められています。
右:連結送水管用。蓋と鎖を取り替えられたようですっきりスマートな風情に。

比べて観察すると飽きません。



 広い広い函館市の、中心街のほんの少しの区画をまわっただけなのですが、アクリルには出会えませんでした。ただ一つ。かつてアクリルだったというもの、それだけでした。


【摩周丸の送水口!!】
 青函連絡船の資料館となっている保存船「摩周丸」に行って参りました。
 青函連絡船。
 青函トンネルの完成とひきかえにその姿を消すことになった航路、船たち。
 そんなの夢だ、と言われた青函トンネルを実現させたのは1954年9月26日に起きた「洞爺丸事件」だと言われています。それは予測を超えた動きをした昭和29年の台風15号によって五隻の船が沈没した事件のことです。
 しかし、ここに行くと、洞爺丸事件を事件と呼ぶのは心が痛くなるほどに、青函航路を大切にしてきた人たちの偉業が、熱い思いが、そして事故を防ぐための繊細な努力が伝わってきます。

 さて。資料館で先ず目に入るのは1988年の「さよなら青函連絡船」の一連のポスターです。

「最後の夏の、汽笛が響きます」
「秋が、波間に消えていきます」

80年もの歴史を支えてきた方々、人生を切りひらくために連絡船に乗ったことのある方々の思いはいかばかりか、と思います。

 そんなことを思いつつ船内をまわると、新しい放水口があるではありませんか。

資料館として生まれ変わったので、そのための消防設備が必要になったということです。
ということは・・・・!!!



ありましたっ!
しかし何とも不思議な設置の仕方です。




 船の中にある送水口。保存船ならでは、でしょう。護衛艦などでは見られない設備です。
どうしてこのような形になったのかはわかりませんが、或る程度の高さが必要だったということなのでしょうか。
因みに万が一の自体のときにはこの写真の右側からポンパーが登場するのでしょうか。


【「ホーチキ」に出逢う・・・・メーカーロゴたち】

 まずはこれをご覧下さい。

ホーチキ
です。まちがいなく。

 実は最近「送水口の日本登場のころ」について調べていまして、すでに大正時代に火災報知器をつくったのがこの「ホーチキ」株式会社の前身となる東京報知機株式会社だということはわかっていました。
 その中で「連結送水管設備」という項目があるにも関わらず製品情報では送水口はないことが気になっていました。しかし「生産をやめた製品」の欄にもその記載はない。
 まあいいか、とそのままにしていたら・・・・・・!!!

 送水口としては壁埋設で、こんな感じでした。

 写真が暗いのは、二日目の「夜に出逢ってしまったから」です。
まさかの邂逅でした。心の準備ができていませんでした。
いやしかし嬉しい!!!
しかもこの立体的なロゴマーク!!すてき過ぎます。このままピンバッジにしたいくらいです。


ただし不安なことが。

この送水口、旧ダイエーの建物のものなのです。
旧、です。
因みに函館五稜郭店です。

「流通の記憶」というサイトを運営していらっしゃるMACLORDさまに頂いた情報によれば、もうすぐ解体されてしまうとのこと。

えーーーーっ!!!

ということはこの送水口も・・・!!!!!


というわけでさっそく翌日明るい時間帯に再訪。


 微かに残るダイエーの文字。
 この店舗については写真を後ほどまとめてみたいと思っています。問題の送水口はこの写真の更に右側にありました。


 こころゆくまで写真を撮りました。
 しかし、近々廃棄されてしまうのだと思うと居たたまれない気持ちになります。
 このロゴ部分だけでも欲しかった・・・。




おまけ。

函館で見つけたロゴ。
やはりありました「CEC」。これは既出の今井丸井のものです。






はじめて見ました、「NK」。
こころなしか 関東でよく見る 「KS」 に似ています。 



新しいまちに行けば新しい送水口との出会いがあります。
今回もなかなかに素敵な旅となりました。

とはいえ送水口以外にもすこし撮影してきたものがあるのでご紹介いたします。
というわけで函館編つづく。











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