20140102

お正月特別記事その2 林丈二氏から頂いた送水口写真をご紹介いたします第二弾。

まだお正月です。


凧をあげても
独楽を回しても
庭を駆け回っても
こたつで丸まっても
お酒を飲み続けても


許されるお正月です。

そんな幸せなお正月を一層深く味わうために。
あの!林丈二氏から頂いた送水口の写真第二弾をお送りさせていただきます。

今回は国内編です。

送水口はもとより写真としての美しさに息がつまります。
では。


(※記事中、大きな写真が林さんから頂いたもの、小さい写真はわたくしが撮ったものです。)


【1992年3月20日撮影 墨田区墨田4丁目30】




これを見て誰もが先ず思うのは、「これは間違いなくビールに見立てて彩色した」ということではないでしょうか。誰もが。
しかし、非常時にビールを思い出しては仕事になりにくいような気が致しますが、如何でしょうか。
とは言え正面の泡のたれ具合も素晴らしい。

と、ビールの話題から入ってしまいましたが、採水口をセメントで固めてしまうというのは街の景観づくりの一環だったのかとは思いますが、配管などの点検が大変そうではあります。
せっかくのキャップの鎖も行き場がなくて途方にくれているようです。




実は私も墨田区で下のような採水口を撮ったことがあります。(墨田区京島3丁目15)
共通しているのはどこの建物の所属、というよりは公共的なにおいがすることです。





【1982年荒川区】



これもまたインパクトある物件です。
それにしてもこの色。
必要以上に使っているだろうコンクリ。
外れたままのキャップ。
これでは採水口だとわからない人が出てきても仕方ありません。

これらの「採水口が路上にあってコンクリで固めてしまう物件」は東京の中心付近ではあまり見ません。生まれ育った板橋区でも見た覚えがありません。

区、あるいは都の条例で定めたことがあったのか。
屋外消火栓的に使われているのか。
今年のテーマが一つできました。







【1985年12月 池袋 三和銀行】


もう息をのむしかありません。
写真の技術ひとつでこんなにも送水口が胸をうつ被写体になるとは。


それはそうと、この送水口、井桁の中にCECのマーク。
送水口ファンの間ではその名を聞くだけでひれ伏すという建設工業社さまのマークです。
私がオールドプレートと呼んでいるアルファベット表示の送水口についていることが多い老舗中の老舗。

その建設工業社さまの送水口ですが、接続口の下が舌状(うまい例えが思いつきません)に長く伸びているものは少ないです。

ぱっと思いつくのは、銀座線・新橋駅のこれです。上部の文字の字体と間隔や蓋の形状から、同じ鋳型を使っていると思われます。新橋駅のものは下部のロゴマークのさらに下の円形の部分が謎のままでした。水抜弁が付いているのでは、と想像していましたが林さんの写真からそれが明らかになりました。




因みに、建設工業社さまの他のオールドプレートはこんな感じです。

下の部分がないタイプ(日比谷ビルディング)、半円タイプ(リスト関内ビル:横浜市中区尾上町)。
※この後紹介する丸石ビルディング、女子医大、大手町のものも半円タイプです。




「三和銀行」はもうなくなってしまいました。送水口はどうでしょう。
そう思い、本日行ってまいりました。(2014年1月3日)
やはりわかる範囲では探すことはできませんでした。
ここかと思う支店と壁を一通り見ました。
しかし、唯一自転車置き場となっていて休日は囲ってある場所のみ見ることができませんでした。
そこにあれば最高なのですが、囲ってあるようなところに送水口は無いですよね。
とても残念です・・・。(でも念のためにいつか平日に行ってきます!)






【1992年12月 神田丸石ビル】

丸石ビルディングです。これも建設工業社さまの「下部半円タイプ」です。
いやはやこのキャップの美しさ!


アップも送ってくださいました。


この送水口、現役でいまでも見ることができます。私が行ったときには壁はとても美しくなっており(ケ○ヒャー?)ました。そしてその近くにはライオンさんがしっかり古き良き送水口を見守っていてくれていたのでした。
丸石ビルディングの送水口については、このビルのことも含めていつか記事にしたいと思っています。










【1993年2月 交詢社】




今からほぼ20年前の写真になるわけですね。
それにしても重厚な趣のある送水口です。
ロゴマークは「波にM」。
どこのメーカー様かはまだわかっていません。



この写真の翌年、交詢社ビルディングは建て替えられてしまいました。
ここについては、私も行くたびに写真を撮っています。しかしそれもビルが新しくなってからのこと。
ファザード保存がなされたとはいえ、以前の姿をじっくり見てみたかったです。















【1993年2月 東京女子医大】






ネットで調べたらこの建物は昭和五年竣工だそうです。
建設当初は送水口を付けるという法律もなかったころ。
法律が整備されるか消防という概念が広まってから必要性を感じ、後からこの食パン型の石部分を付けたということでしょう。


今はほとんど見かけませんが、このように送水口に沿って石を切り出しているものがあったようです。このような送水口を見るのは二つ目。


一つ目は、写真でした。

かの赤瀬川原平さんがかつてハイレッドセンターで行った「首都圏清掃整理促進運動」。
その写真にまさにこのタイプの送水口がうつっているのです。

説明書きによれば並木通りとのこと。
周囲の風景から北海道新聞社の建物だとわかりました。
そちらは今はもうありません。

麗しい二つの送水口が路上観察の大家お二人によって撮影され、或いは磨かれていた(!)ということは何とも素晴らしい事件ではないでしょうか。



さて、ではこの女子医大の送水口。今はどうなっているのでしょうか。
これも本日(1月4日)、見てまいりました!

結果は・・・・・


ありました!!!




といっても3枚目の写真のように、新しい(とは言えこちらも既にかなり年季が入っていますが)送水口ができていて、林さんが撮ったものは既に塞がれています。
一瞬単口かと思うかのように。
もちろん口径が異なるのでよく見ればわかるのですが、林さんの写真がなかったら「??」となっていたことは間違いありません。

因みにこの建物は女子医大病院の一号館。
スクラッチタイルを含め、建物自体がかなり老朽化していました。
ですから、こうやって遺っているだけでも感謝するべきかもしれません。



ところで、この送水口。
とんでもない一品、いや逸品でした。


なんと、ロゴマークが二つ。
菱形の建設工業社さまのマークの上にKマーク。
これは鎖留になっているのですが、まさかそれだけのために他社に発注・・・?
まさか建設工業社のもう一つのマーク・・・なわけないです。
Kはどこの会社さまかまだわかっていないので、もう本当に謎が謎をよぶ送水口だったわけです。








【1986年ごろ撮影 大手町?】


これはなんとも・・・もう今はどうなっているのでしょう。
この壁。
この輝き。
今度大手町に行ったときにはぜひ見つけてみたいと思います。




【1986年ごろ 港区昭和電工ビル】





武骨なデザインの真鍮の送水口。こんなデザインのものは見たことがありません。
しかも南京錠つき。
非常に外国的なデザインです。

しかし。
ちょうどこの3年後に昭和電工ビルは建て替えられています。
現在ではぴかぴかの壁埋設送水口が付けられています。

うああ・・・これの実物が見たかった。
見たかったです(T_T)



というわけでお正月特別編をお送りいたしました。
如何だったでしょうか。

林丈二氏には心から感謝し、お礼を申し上げたいと存じます。





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今年もまた送水口を探して街を歩きたいと思います。
因みに本日は新宿河田町から始まり、池袋、護国寺、渋谷とまわって何と31118歩!
送水口も大切ですが2014年はダイエットもこの調子で頑張ろうと思った私でした・・・・。





3 件のコメント:

  1. CECとKSのダブルロゴですか、CECは建設工業様のロゴですが、CECは何の略でしょうか?
    KSなら、建設のKとSと憶測できますが・・・・
    ロゴの過渡期??
    古い物なので、資料もなかなか見つからないでしょうね。(><)

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  2. よっち~さん、今近代デジタルライブラリーで鋭意調査中です!!!少しずつ糸がほぐれていく感じ、しかし本当に知りたいことにはなかなか出会えないもどかしさを感じています。過渡期・・・なるほど!

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    1. 追記 ダブルロゴのひとつはS地にKで消火栓機工さまのロゴです。また、KSは岸本産業さまのものです。ダブルロゴについて・・・送水口メーカーと施工の両方のロゴがついていることがありますが、この組み合わせはいまだ他に見たことがありません。

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