4月18日(土)内田ビル解体に伴い、送水口博物館館長村上さんが送水口を救出することになりました。
博物館スタッフのジョージくんも同行します。私は力にはならないのですが、撮影記録係としてついていきました。
以下はその時の記録です。
村上製作所の倉庫から【本日の道具一式】を選んで車に積み込みます。いざ出陣。
今回は、スタッフのジョージくんも参戦。
内田ビルに到着。新橋のビルもどんどん変わっていきます…
いよいよ始まります。
救出作業の許可申請や現場への詳細連絡については館長が既に行っています。
実際の現場を確認。
工事に使用する水源として臨時蛇口が送水口のすぐそばに設置されています。
これだと送水口を取り外すための回転がしにくいのでは…
さっそく作戦を練り直す館長。
蛇口への水の供給をいったん止めてもらい(タンクがあるので工事の進行には影響なし)
救出作業に入ることに。
先ずは連結送水管の中にたまっている水を抜きます。
湿式の場合はこれをしないと送水口を外したときに水がどばっと出てきてしまうので、予め抜いておく必要があるのです。
とは言え、本来送水口はこちらから水を送るための設備。接続口には逆止弁がついていて、簡単に水は出てきません。専用の装置で逆止弁を押して水を抜きます。
いつもながら、この風景を見ると送水口から水が出るのだなあと勘違いしてしまう人がいるのではないかと思ってしまいます。
だばだば出ております。
水が抜けるのを待っている間、ふと横を見ると定礎を発見。
昭和37年の文字。1962年…64年間もの間このビルは新橋の街を見つめてきたということです。その役目を終えて、眠りにつく。けれどもその一部は記憶と共にこうして残っていきます。
なかなか水抜きが終わりません。
逆の接続口からも水を出す館長
水抜き完了。
そうそう、この送水口ですが、飾り板は岸本産業様製ですが、本体は丸岡製作所様のものです。既に一度改修が行われたということです。
接続口の内部が見えます。
認送011 こちらは平成14年(2002)認定されています。改修後だけでも20年以上は経っているということでしょう。
さて、救出のためには送水口の本体をねじのように回転させて取り外します。(露出Y型の場合)と言っても年季が入っている送水口。取り外す時のことを考えて設置する訳でもありませんから、簡単には外れません。館長考案の送水口取り外し専用工具とパイプで井桁に組み、回していきます。
Yの字に近い岸本産業様の本体とは異なり、丸岡様の本体は丸みがあり、滑ってしまうようです。パイプが緩んでしまいます。
それでも館長の技でしっかりとパイプが固定されていきます。
送水口も苦しそうですが…がんばれ…
何とか組みあがりました。とは言え、このままでは回す時にずれてしまいます。そこで…
すきまに、これも館長持参の木片を打ち込んでいきます。
すきまがないように…
そうして力をかけると…
回りました!!!
このタイミング、いつも「よかった~~~~~~~」と思うのですが、送水口的には「何するんだ!外れたら!このビルを!!守れないではないか!!!」と抵抗してきたのではないか…そう考えると切ない一瞬でもあります。
枠組みを丁寧に外します。
一度回ってしまうと、大体あとはゆっくりでも回転してくれます。
時を戻す作業のようにも見えます。
本体が外れました。
そっと床に置かれます。内部を確認。
工事の終了を現場に伝える館長
本体を外すと、飾り板はそのまま取れます。64年前の壁が現れます。
定礎の石はここに残り、ビルと運命をともにします。中身はもう出したのでしょうか。
傷をつけないように、そっと館長の車に乗せられる送水口。長い間、本当にお疲れさまでした。背負っていたビルは、守り抜かれました。
しばらく休んで、次に見る風景は、きっとこんな感じですよ。
次の人生(送水口生)は少しゆっくりと楽しんでほしいものです。
内田ビル送水口の展示迄には、館長による台座の作成、本体の洗浄などまだ少し時間がかかりますが、めどが付いたら送水口博物館のXアカウントその他でお知らせがあると思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。