20170730

池袋の単口二つ。単口探しは宝探し。

池袋で単口さんと出会ってまいりました。新たに二つも、です。


・・・・とりあえず先ず一つ。




そして、もう一つ。
こちらは、kazaanaさん(@kazaana_puka)に教えて頂いたものです。 



どちらも南北製作所様製品。
きょうだい、いや双子のような二基です。
両方のビルとも築年数はわからないのですが、
かたや蓋なし、かたや蓋があっても鎖留が取れているということで、鎖がだらんとしているところも同じです。

本当に単口に出会うとどきっとします。
心拍数が上がります。
宝さがしをして、お目当てのものに出会ったときはきっとこんな感じなのでしょう。


因みに、この近くにはもう一つ単口があります。
こちらです。


西口を出てすぐのビルにあるのですが、池袋にずううっとお世話になってきたのに、全く知りませんでした。くうう。


こちらは、江口さんという方に教えて頂きました。
これらの単口は、送水口ナイト実行委員会ページに掲載します。



立売堀様S170を悪者にしたくはない

池袋に行って参りました。
ということで、
池袋の「変わってしまったもの」「変わらないもの」を紹介致します、

さて、池袋と言えば東武東上線ですが(故郷なので)
東武東上線サイド、つまり西口(有名なことですが)
を出てすぐにあるのがこちら。




蓋をようく見ると




送水口一族がこの中に収められています。
と言ってもお墓ではありません。



このような蓋で閉じ込められ送水口のそばには、地下鉄が通っていたり、


このように


東京電力の蓋があったり致します。

ここまで書いて「本当にそうなのか?」と。
蓋のことがあのものすごいサイトに載っていない筈はないと思って見てみると、地下鉄丸の内線用の送水口ではないか?と書かれておりました。なるほど!!
やっぱりちゃんと確かめないとだめですね。


さて、今回お伝えしたいことはそちらではなく
こちらです。
わーん!!!!


あの、あの
重厚なCEC送水口が・・・

いつもご挨拶していたあの逸品送水口が・・・

とうとう取り換えられてしまったのです。


立売堀製作所様のこのタイプ(S170)は、嫌いではないのですが
何故S213(Y型)ではなくこれにしたのか…知りたいです。
「えっ、どうしてこれにしたの?」
「貴方は外付けにぴったりなのに!」
「これは・・・S213が泣いてるよ・・・」
などと道行く人たちがよってたかってS170を苛めるのではないかと心配もしています。



そしてすぐそばにあるこちらは健在でした。



こちらが接続口ではなく、本体は上の蓋をぱかっと上げると出てくるような気がしているのですが、どうでしょう。


正面から見ると、乗上禁止チーム(こちら)と、送水口チーム(敵)で
対峙しているような感じが凄いです。何の試合かはわかりませんが・・・。


街の変遷は仕方ないです。
もっと頻繁にお散歩しないとなあ、と思った次第です。

20170725

孤峰寺社送水口がまた一つ!!!大船観音で村上送水口に出会う

大船です。
大学生の一時期、深夜に浮かぶ観音さまを見つめ続けた数週間。
今回はその思い出の場所に・・・

というわけではありませんが、いろいろあって大船観音へ。

ああもう閉門ですね。って・・・・あれれ

まさかの

村上さま製自立型送水口ではありませんか!!!!

残念ながら本体すぐ下(鎖の下10㎝くらい)の金属プレートは外れてしまっていましたが、
ぺったんこの頭も、鎖も鎖留も、まごうかたなき村上様製です!!

この透明感ある表示もたまりません。いい色!

それにしても村上送水口の露出配管なんて、珍しくないですか??
ああ、思い出しても手が震えます。

閉門しているとはいえ、門の前までは行けるようなので配管を辿ってみました。

が、途中で上へ・・・

さすがにここは登れません。いえ、考えもしてません。

今度はもっと早く来ます!!!

大船のまちを見守る観音様。
さらにそれを守る村上製作所製送水口。

素敵な出会いでした。
いい一日になりました!

20170723

新橋の歴史的遺産がまた一つ・・・ 続き

昨日の記事の続編です。

昨日は送水口博物館の開館日でしたので、さっそく物産ビル別館送水口たちに対面して参りました。


この4基が救出されたものです。
(そばにあるビールは開館記念にキムチさんがご自分でデザインしてお祝いとしてつくったものです。撮影しようとしたらなぜか館長が傍らにそっと置いてくれました)


あの系統区分図も!!!!ナンバープレートも!!!! 



そういえば、これで村上製作所様製の露出Y双口送水口は
アルファベット表記と





片仮名表記と





そして漢字表記、3種が揃ったことになります。
接続口間75度。
他のメーカー様にはない角度の村上送水口が並ぶ様は
壮観過ぎて眩暈がするほどです。









最後になりますが、このようなお知らせが送水口博物館にありましたので紹介させていただきます。私も見に行きます!!!楽しみです! 


新宿眼科画廊、8月25日(金)~30日(水)だそうです。

20170722

新橋の歴史的遺産がまた一つ・・・・ 「インベーダー送水口」の行く末はいかに

「インベーダー送水口」とは、たしか送水口博物館館長が付けた愛称だったかと思います。
インベーダーゲームというものが昔ありまして・・・と説明するのも無粋なのですが、まあそんなふうな「陣形を組んで」いる送水口があります。



いえ、あったのです。新橋の物産ビル別館に。

このビルの壁面に、その送水口達は物凄い存在感をもって君臨していました。

五基全て金色の村上製露出Y送水口でした。
なんという神々しさ、なんという贅沢。 

真鍮のように見えますが、そして私も村上送水口博物館館長様に教えて頂くまではそう信じておりましたが、青銅製だそうです。時を積み、磨かれ続けてほんのり赤く、深く輝き、そして柔らかな光を放つ名品中の名品といえましょう。





村上製漢字表記露出Y送水口に純正金属蓋があるものはどちらかと言えば少ないのです。こちらもその例でしょう。純正品と比べるとツマミが角ばっていて、少々薄く、中央の突起も別パーツ・・・??のようです。 そして、鎖も細く華奢なステンレスのものをどこかから調達したようです。

因みに純正品はコレとか

コレとか

コレとかです。 







そして、実は館長に見せたくなかったのですが、その理由がこちらです。 
多くは語りませんが、現場の判断でこうなったのでしょう。切ない。








ところでこちらの送水口達。
「送水口」とは書いてありますが、



地下階用の「連結散水設備用送水口」です。
連結散水設備は地下階や地下街の火災に対応するために設置され、スプリンクラー設備のように天井の消火ヘッドから散水します。散水が滞らないよう外部から注水を続けるための水の供給口がこれらの送水口です。

地下階や地下街は広く、倉庫などに使われている場合も多い為、全ての区画に水損が及ばぬよう区画ごとに散水できるようにしています。選択弁がついていて一つの送水口で事足りるようにしているものもありますが、ここでは区域ごとに担当する送水口が存在しています。

消火すべき場所へ確実に送水するため、識別のために送水口の蓋に色を塗ったり、番号シールを貼ったりするのですが、ここでは飾り板に彫り込まれています。(表示板は後から付けられたもののようです。)






複数の送水口で対応する場合は大きなプレートに壁埋設送水口を集合させたり、自立型送水口を並べたりということが多いのです。露出Y型送水口を選択するということは、唯一の事例ではありませんが、非常......!!!!に稀であります。消防設備(正確には『消火活動上必要な施設』)にここまでお金と壁の面積(露出しているのですから空間も!!)を使っている。感激するばかりです。今から造るとなったら決して在りえない選択肢でしょう。



そんな


そんな物産ビル別館が、解体されます。











ちなみに物産ビル別館の竣工は1968年(昭和43年)。あと一年で半世紀・・・というところでした。


ではこの送水口たちはどうなったか。







送水口の神様は、彼らを、見捨てなかった。













今現在、四基の送水口が送水口館長の村上さんによって救出され、送水口博物館へと運ばれています。(この二枚の写真は村上さんからお借りしました。)




建物がなくなってしまうのはとても悲しいのですが、その思い出を残す送水口たちだけはこの世に、在りし日の姿のまま残ります。



インベーダーたちはもう、陣形を組んで建物を守ることはありませんが、古き良き時代の新橋を思い起こすことのできる象徴として、これからも後世の人たちに見てもらえることになったのです。



7月22日現在、救出はまだ終わっていません。

NO.4の一基がまだ、頑なにその場所を離れないそうです。
「何をするんだ、まだ頑張れるよ」
「仕事をとりあげないで」
と叫んでいるのか。

「どうしてもというのなら建物と一緒に朽ち果てる」
そうこころに決めたのか。


「もう少しだけここにいさせて」
と惜しんでいるのか。

後日ふたたび撤去作業が行われるそうです。
どうか、NO.4が「歴史を伝える」という新たな役目へと静かに、やすらかに移ることができますように。