あの麗しいCEC送水口が、私が「盗まれたらどうしよう」と恐れつつ愛でていたあの送水口が、街の風景から消えました。
そしてまた一つ。
90年代の終わりに新潟のまこさんに教えて頂いて以来、憧れ続けていた旧大和百貨店新潟店の送水口もまた、その役目を終えることになりました。
閉店で撤去の可能性も頭にはあったのですが、過去二度の訪問ではそれは「気付いていないこと」にしていました。しかし現実は厳しい。
遠国にいる王子様のように思っていた、あの大和送水口もまた、この世から消えるという事実に衝撃を受けました。
消防設備は常に万全であるべきですが、この二つはどちらもその機能が劣化したわけではなく、あくまでも本体建築物の解体に伴う廃棄です。
何とかならないか。
ブリヂストンでの経験から、「もしかして」という期待を抱いたものの、大和送水口は新潟にあるのです。遠距離恋愛過ぎる。もし想いが届いたとしても、どうやって救出するのか。そしてどうやって持ち帰るのか。
とりあえず。
とりあえず会っておこう。そしてできることはしておこう。
そして旧大和百貨店送水口の現役最後の姿を見るべく、さらに叶うならば、送水口保存のお願いをするべく、新潟に行って参りました。
今回なんと、解体を前に大和新潟店の思い出を偲ぶということで、回顧イベントを行うということ。中に入れるわけです。これは行かないわけにはいかない。ただ冬の新潟ということ、そして時期的に仕事が・・ということで非常に怯んでおりました。
しかし、たくさんの方々に背中を押され、また家族の協力も得ていくことができました。
今回はその様子を写真でお送り致します。
前置きが長くなりました。ではでは。
※写真はクリックすると大きくなります。
※イベントは撮影およびSNSへのアップもOKとのことでした。
大和百貨店新潟店。
新潟の人々の思い出がぎゅうっと詰まっています。
この風景。この壁はかつて大理石の輝きだった。
また来たよ。(三回目)
初めて見たのはまこさんが送ってくれた写真でした。金ぴかだった。
でも、こんなふうに美しく緑青が浮いた姿も麗しい。
さわさわ。
Twitterで「この型にもはや現役はない」と書いてしまいました。申し訳ありません。
まだこのプラザビルのことをしっかり守っています。
文字とプレートの一体成型。奇跡のピリオドもしっかりとその影を落としています。
村上ロゴの鎖留。
正面から。愛し過ぎます。
そしてこの角度からの姿。
かつて金色だったその本体下部はつややかな黒を纏い始めています。
対して上部は薄く緑青が浮いている。
どこから見ても綺麗です。
因みにこの鎖の繋ぎ方は新宿NTTと同じ。
銀座交詢社・神奈川県分庁舎も同じ型ですが、蓋からの鎖が連結せずに鎖留に繋がっています。
通常の「たゆん」とした感じに加え、ロゴ付近で凛々しく引き締まっている。
蓋再度の鎖末端部が通常のものよりも少し小さいのがカワイイ。
ギャップ萌えとでもいうのでしょうか。
この文字も見飽きません。
これを書いた方とお会いしたい・・・
さてさて。
やっとイベントに。
これが今回のお目当て。
受付けから泣きそうに・・・
きゅんと来る階段文字。
屋内消火栓!村上製作所製でしょうか。
文字がかすれています。
開けたい・・・
ホースは新しい、のでしょうか。
可愛い表示灯。
古い百貨店らしいスプリンクラーヘッド。
この型には珍しく埃をかぶっていません。さすが。
管が長く伸びているタイプも。
みなさん、これを観て「懐かしい!!!」と。
これを知らないであろう少女が見入っていました。
これは何かというと、
地図の中央に大和がある。
各所に、展示をつくった方々の想いが。なぜボードカバーを取っての展示かというと、
見せたいものがあるからで、
問題「このフロアには(普通の百貨店と比べて)たくさん柱があります。どうしてでしょう?」
それは、
火事と地震を経験した建築物を支えるためとのこと。
つまり、本体は使い続けてきたということです。
こんな古い地図も。
これ一つでも飽きません。
屋上遊園地!!!
こちらが先ほど話題に出た火災のときの様子。
新聞記事も。撤退の悲しさが・・・
貴重な物品の展示もありました。着たい。
往時は行けなかったであろう場所にも入れました。
ふと外を観る。
こっちは白い。
なるほど、ここに放水口が・・・
消防章は付いていませんが。
ちゃんとはめてあります。
修理。
こちらは字がくっきり。
心にせまるピクトさん。
川崎市役所に続き、描いてまいりました。
その後、他の方々も保存について書き加えてくださいました。感謝です。
エレベーターは日立。
もし、もし救出できたとき、
展示のときの背景になるように・・・
壁も撮ってきました>館長様へ
この手すりもかつてはぴかぴかだったとのこと。
展示スタッフの方に、チャンスを見つけて話をしてみました。
緊張しましたが、なんと、送水口博物館のパンフのおかげで話がスムーズに進みました。実績というものは凄いと実感。
その結果、財産管理者さまおよび工事関係者さまにも後日連絡がつくことになり、保存について了解を得ることができました。
そして一番大切なこと。
村上送水口博物館館長も、新潟まで出向いてくださることになりました。
解体は来年になりますが、進捗についてはまたお知らせしていきたいと思っています。
なお、展示の場所や方法はまだ決まっていません。
新潟の方々の思い出がつまっている大和百貨店。
展示についても工夫ができればいいなあと思っているところです。
送水口博物館館長と、これからも相談をしていきたいと思います。
大和百貨店の皆様、イベントの運営をしていらっしゃった皆様
ありがとうございました。
※追記 送水口は2017年1月に無事に救出することができました。2月現在、送水口博物館にてメンテナンスをしているところです。救出の際の状況や現状についてはおいおいお知らせしていきます。
こんばんは。ひょんな事から記事を拝見させて頂きました。小学生の頃親によく連れて行ってもらっていた大和デパート。懐かしいです。
返信削除そして、世の中には、色々な道を極める趣味の方がいらっしゃるのはじゃの道は蛇で見当が付くのですが、こんなディープな世界があるとは驚きました。読みごたえのある記事で夢中になって読み込んでしまいました。楽しい記事、ありがとうございます。いつかこの消火栓の入水口を実際に見に行きたいと思います。
返信が遅くなり申し訳ありません。胸が熱くなる感想をいただき、感謝しています。懐かしいと思ってくださる方に読んでいただけて、これ以上うれしいことはありません。
削除大和さまの送水口は、新橋にある送水口博物館で現在しっかり展示されています。会館日の限られている博物館ですが、どうかいつか実物を愛でにいらしてください。お待ちしています。事前に博物館のほうに連絡いただけると確実かと思います。そのときには私もがっつりご案内させていただきたいです。