若い時、廃墟的なものに惹かれたときもありました。
ですが、今はむしろ興味本位でそれらを見ない
というか、しないようにしています。
勿論、見知らぬ街、AIなどで造られた廃墟の風景には魅力を感じることも正直あります。
でも、そこで暮らした人のことや、活気あった時代のことを考えると
何となく心がいたむのです。これは、決して恰好付けているわけでもなく、綺麗ごとでもなく、ただ私自身が年老いたということなのかもしれません。
そして、まさに先ほど、一つ封印していた思い出がほろんと解けたので、忘れないうちに書いておきます。
かつて10年ほど福岡で暮らしていたことがありました。
本当に昔のことです。そのころ、大牟田の繁華街と言えば新栄町でした。
引き出物を買うのならここしかないわ、と連れて行かれたのが松屋デパートでした。
可愛らしいエスカレーターがあったことを覚えています。
そこには確かにアーケードがありました。
当時、私は運転免許を取ったのですが、自動車学校のバスを待つのもその商店街でした。
見上げた天蓋の光が思い出されます。
福岡の記憶はそっとしまっていたのですが、
そういえば私、いまアーケード巡りをやっているではないかと。
震える手で新栄町のストリートビューを見てみました。
https://maps.app.goo.gl/Um8EBgdtYJSkv94A8
そして、
https://maps.app.goo.gl/Mrh9xSuGKpaKozSb7
確かに白かった。
今、知らない人がこの送水口と二つもある放水口を見ても、何ゆえかわからないでしょう。
看板も…
https://maps.app.goo.gl/AVBT1ZTMg5Egvc417
そう、駅の前で、この付近の風景を見つめながら、
寒さに震えながらとても長い時間家族を待っていたことがありました。
まぎれもない繁華街でした。
当時、この町でもいくつか送水口は撮影しましたが、その時のデータは残っていません。
もうこの地図を開くこともないでしょう。
この記事は純粋に自分のために書きました。
あの時の自分に、伝えたいことがたくさんあります。
この記事の読者はあのときの私です。いま楽しく生きております。めっちゃ元気です。
私の中で、新栄町はこのあともずっとデパートを擁する賑やかな商店街です。
いまたくさんのアーケードを歩いていますが、
天蓋から差し込む光を浴びながら、いろいろな人々の喧騒やちょっと浮かれた音楽や家族連れの笑い声をたしかに聞いているのだと思います。
これからも、少しにじんだ色の屋根の下を歩いていくと思いますが、
そこに生きた人と今そこで生きている人に感謝しながら巡っていきたいと思います。