20140429

村上製作所さまに感謝をこめて

その名は、村上製作所 さま。

あの「波にM」「うずまき」「水流にM」果ては「亀さん」まで
多種多様な呼び方で親しまれてきたあのロゴマークの持ち主(?)の会社さまです。


先日の記事「ロゼッタストーン送水口」で会社の名前が判明し、私はすっかり満足していました。
しかし、判明したものの日本全国を見渡すと似た会社名があるようで、駅からマンホールさん が特定の為になんと!直接「御社があのロゴマークの会社様ですか」と村上製作所さまに問い合わせてくださったのです。http://ekikaramanhole.whitebeach.org/?p=12590

その結果、なんとなんと・・・・!
代表取締役の方が自ら「うちです」と!
さらには「何か送水口のイベントがあったらお知らせください」と!!!!
仰ってくださったそうなのです。

駅からマンホールさんはそのことをすぐ知らせてくださいました。そして、私がメールしても不審者と思われないよう事前にその取締役の方(村上善一氏)に取り計らってくださいました。

こうして、あの有名な渦巻ロゴの送水口のメーカー様とコンタクトをとることができたのです。










(T_T)

・・・・すみませんちょっと感動の涙が。


私の熱に浮かされたような怪しげなメールにも、村上様は優しくお返事をくださいました。
しかも、以下のような画像もプレゼントしてくださいました。

ではいきます。

まずはこちら。


村上製作所様の記念誌画像。
なんという美。なんという技。
プレートのヘアライン加工がライトに照らされ、浮かび上がる送水口の文字。
鈍く煌めく接続口。
右上にはまさにあのロゴ。
写真としても心打たれるほどに美しいのは言うまでもないのですが、数ある村上製作所様のお仕事の中から送水口が表紙になっているということが嬉しいです。(違う版もあるかもしれませんが)

いつかお会いできたら冊子を頂けるとのこと。
考えるだけで心拍数が上がります。


もう一つ。
村上様のベストショットだそうです。
実はぱっとみて「あれ?」と思ったのです。


記録用写真としてばかり撮っている私には撮りえないこの美しさも驚きだったのですが、
接続口の爪の台座のような部品に捻子の頭のような丸印があります。ということは・・その・・建設工業社さまの送水口ではないでしょうか、と。

メールには村上製作所さまの製品ではないけれど、とありましたのでやはりそうかと思った次第です。帝劇ビルの送水口かなあと思うのですが、私が撮ったものは今一つぴかぴか感に欠けるのです。


以前横浜駅の送水口が時を経て真鍮の真鍮たる輝きを失っていく様を記事にいたしましたが(さらば横浜CIAL、東急エクセルホテルその2) もしも、もしもこれがその送水口であるのならば、磨きに行きたいです。

話がそれましたが、もしも村上様がご趣味で「送水口」の写真を(も)撮っていらっしゃるのだとしたら!何と素敵なことでしょうか。
このご縁を大切にして、いろいろと教えを頂きたいと勝手に決めて舞い上がっております。

以上、嬉しさ全開でお届けいたしました。

20140418

W.M.ヴォーリズ氏の建築を彩る須賀工業社様製送水口



大丸心斎橋店。

http://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/vories/

公式ページには「W.M.ヴォーリズと大丸心斎橋店の建築美」というコーナーがあります。
素晴らしい写真で、ここだけ見たらお城のような豪華さです。

しかし、個人的に付け加えて頂きたいのがこれ。






連結送水管送水口。この写真は二回目の訪問時。2012年の4月末のものです。
検査証があることから現役であるようです。
磨き上げれば真鍮の輝きが放たれるに違いありませんが、きっと敢えてこのままにしているのでしょう。麗しい緑青は時代を経た逸品だけがもつ風格をつくりだし、百貨店の壁面を一層華やかなものにしています。鈍い輝きはこの街の移り変わりを見つめてきた証とも言えます。

製作は須賀工業株式会社さま。
認証番号、或いは特許番号も書いてありますがこちらは詳細不明です。
露出Y型、化粧板は送水口ヘッドとドレン弁をつなぐ足型風。
ドレンは専用の金具で開閉するタイプでしょうか。
鎖は新調したもののようです。
中央には大丸印。



見つけると嬉しい企業ロゴ付送水口です。

上部に表示。・・・・STANDPIPE。
ヘッドの球部は小さく、接続口には媒介金具?が取り付けられています。
ねじ式を差込式にしている?
                 
Wikipediaによると、当該店舗は
第一期工事完成が大正11年
第二期工事完成が大正14年
第三期工事完成が昭和8年 となっています。

近代デジタルライブラリーの「須賀商會」のページを見ると、
昭和6年版になって初めて送水口(サイアミーズ・コンネクション)の紹介が出現します。
昭和4年版ではまだありません。
ということはおそらくその間に自社の送水口を開発・生産するようになったのではないでしょうか。
するとこの送水口がついたのは少なくとも大正ではない。
今のところ戦前の送水口は「そうかもしれない」と思われるものはいくつかありますが、
確証が持てるものはありません。
けれど、これはかなりその可能性が高い。

ところで、須賀株式会社さまの芸術品とも言える製品は、他にもあります。
例えば大阪の農林会館。






名古屋の丹羽幸株式会社さまには壁埋設型の製品も取り付けられていました。



須賀さまの製品はこのように、心斎橋店以外にも重厚な美しさをもつものが多々ありますが、
心斎橋店のものはいろいろな意味で貴重だと言えるのです。

それは、
先ず設置年代。既に書いたように戦前の可能性が高い。
次に The 百貨店ともいうべき心斎橋店の外観に相応しい豪華さがあったということ。
恐らく消防設備としても取り入れられたばかりだったであろう送水口。非常に高価であったことは想像に難くありません。それなのにあのデザイン。あの黄金の煌めき。
それから・・・「STAND PIPE」表示であるということ。

私の目で全国全ての送水口を見たわけではないので何とも言えないのですが、私が知る限りでスタンドパイプ表記のものは大阪では上記に加えて日本機械工業さまの単口で3例。
難波高島屋のメーカー様不明の送水口。
東京では築地の菊栄ビルと日比谷公会堂。(東京の物件は前者が解体により、後者が送水口自体の取り替えにより現存しません。)
他にもまだいくつか存在すると思われますが、もともと現存数が少ない英語表記の送水口の中でもこのスタンドパイプ表記は圧倒的に少ないと言えることは間違いありません。ほとんどのものはSIAMESE CONNECTION という表記です。
サイアミースはこのブログの他のページでも書いているようにシャム双生児からきているとのこと。あえてこれではないものを選んだとしたならばすごいと思うのです。須賀さまの場合はサイアミースコネクションとスタンドパイプのどちらも使用しているようですが、この場合はどうなのでしょうか。もしかして大丸百貨店の意向なのか。



そして何よりこの送水口を遺したいと思う理由は、日本の送水口が欧米の送水口に学んで取り入れられたということを体現するデザインであるからです。

今でも欧米の送水口はこのようなデザインが残っていますが、現在の日本の壁埋設型、自立型の送水口はそれ自体とてもシンプルです。また、設置の仕方も環境への配慮としてできるだけ目立たないようにする、という方向へ向かっているような気がしています。
勿論消防設備である以上それは当然のことです。必要以上に華美で高価な必要はありません。
しかし、非日常を目指し、夢を買いに行く百貨店や文化と伝統を積み重ねる博物館や美術館など、
建物の種類によっては、「街並みの景色・景観をつくる一助となるもの」としてこのような送水口を遺していく価値があるのではないでしょうか。

しかし、心斎橋店は改修してしまうというニュースを先日聞きました。
それが本当ならば、改修、或いは建て替えの際、ヴォーリズ氏のデザインによる外観が何らかの形で残ることは予想されますが、送水口は・・・これまでの例からして難しいような気がしています。


送水口は高層ビルが立ち並び、地下街なども大いに発展した日本にはなくてはならない設備です。あまり注目されてはいないものではありますが、その歴史的な価値や経緯とともに、送水口を日々研究し、高い技術を投入してその性能を飛躍的に高めてきたメーカーさまたちの仕事についても、少しでも多くの方に知ってもらうためにも何らかの形で保存していってほしいと思うのです。

私のものでは勿論ないですし、金銭的なことを考えると無体なことを申し上げているともわかっています。しかし、できることなら・・と思うのです。


最後になりますが、送水口は「使わない時も、いざという時のためにいつでも最高の性能を保っている」ものであり、「使われなかったということは安全であった」という、商品としてある意味矛盾した性格をもつものです。
そうやって大丸を守ってきた送水口を少しでよいので脚光を当ててほしい。
それが願いです。




・・・長くなりました。
ここまでお読みになってくださった方がいらっしゃいましたら心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

20140413

高所送水口の傾向と対策

ある日のこと。
同僚とバスで移動中、車窓から見えたのは古き良きニオイのするY字送水口。
ちらっと眼に入っただけだったのですが、もう気になって仕方ありません。
とはいえ隣の同僚とは仕事の話を続けていかねばなりません。
地名を確かめねばと焦りつつできないまま、時間が過ぎていきました。(3日も)


というわけで確認に行きました。


バスの終点であるT駅からてくてく歩いてバスルートを逆に辿ります。
てくてく。
でもそれらしき送水口は全く見当たりません。

まさか送水口が気になるあまりに見えてしまった幻だったのか。
存在しない送水口が見える病気なのか。
などと不安になりつつひたすら歩いていくこと30分あまり。

高いビルもありません。
もうだめか、と思ったときにふと気づいたことが。


「高所送水口」か!!!??






高所送水口。

高層ビルの送水口
というわけではありません。

通常路上、すなわち建物1階にあるべき送水口が建物の中層階、あるいは最上階付近に設置されていることがあります。
つまり、送水口にとっての高所。

どういうことかと言いますと、
その建物が崖っぷちに建っていて、玄関が上の方にある場合。そしてそちらの方が消防車が接近するのに容易な場合。1階には送水口を設置せず、玄関の方に設置する。
そのときに高所送水口が生まれるということなのです。

高所送水口の中で先ず取り上げるとすれば昨年紹介したこれ。

なんと17階部分にあります。
熱海のホテルニューアカオのものです。この建物の1階部分は崖の下です。

採水口と送水口の並び方、朽ちつつあるアクリル、緑青の風格、細めのプレート、採水口の爪、どれをとっても逸品です。それが高所送水口となっているのです。もう熱海国の国宝です。




話を戻しますと、見た目は3~4階建てのマンションであっても、道路の下にも建物が続いている物件がある場合は階数によっては送水口がついているはずなのです。(傾向その1)
というわけで、崖の下部分の階数を考えて見えている部分の階数を足し、7以上であれば、送水口を探さねばならない。(その1への対策) (因みにどう考えても7階以上なのに送水口が無い場合は、崖あるいは坂の下の1階部分に何事もないように設置されているはずです。)




それかもしれぬ、気を付けねば。そして数歩進むと・・・・・・・あった!

あ   り   ま   し   た   ー   !   !

高所送水口の存在に思い当たった直後の発見。

よかった・・・病気じゃなかった・・・・。
車窓から見えた、まさにその送水口でした。
やった!!!!!!


近づいてみましょう。



うう、すばらしい。



警察もしくは斜め島津ロゴ。
鎖留も兼ねているロゴが立体的な物はレアです。
そして美しい。そして欲しい。鎖も根元だけ細いもので、とても繊細な造りです。
プレートが正円で枠の部分が細いのが古さを感じさせます。昭和50年代前半か。
(と思って後で調べたら昭和58年築だったのではずれでした。悔しい)




反射してしまいましたが文字部は囲んであり、明朝体。

同じ露出Yでも中央に丸い部分が殆どなく、ほぼ120度ずつに分かれているものは古い感じがします。昭和40年代後半から50年代中期ごろ、というイメージ。(経験則)
アトムのおしりのような中央に巨大な球部がついている露出Yになると(材質にもよりますが)ずっと古くなります。反対に上から見てほぼ三角形のような、まるで幼虫のような露出Yは新しい雰囲気(昭和60年代~平成)。球部が小さいものは古いものも新しいものもあります。これは材質と細かいデザインの雰囲気から特定。
おっと露出Yの新旧について語ってしまいましたがこれらは全て経験からくる感覚によるもので、いずれきちんとまとめてみようと思っています。




さて。
ここには棟が二つあり、もう一つは文字部がはっきり見えました。
ごつい接続部と鎖留の錆がついてしまった差込式の薄い蓋。
ヘッド部分はものすごくレアであるということはないですけれど、好きなタイプの送水口です。




で、こちらも経験則なのですが、こういう高所送水口のある(古めの)マンションというのは、




放水口が「露出」している可能性が高い!!!!!!(傾向その2)




のです。
しかも放水口の設置基準としては既定の建物で3階以上となっているので、すぐそこに送水口があるのにも関わらず、入口近くに放水口が設置されていることがよくあります。
つまり、
すぐ撮れる。



というわけで失礼いたします。
その場合決して階段より中には侵入しない。(その2への対策)

送水口の“真裏”にこの階用の放水口。(絶対使われない・・・と思う・・・)




こんなふうに蓋を留めるとは斬新。
数字は口径でしょうか。


こちらも同じロゴ。ですが傾いて付けたのか島津になってます。


もう一つの棟のものは蓋が新しくなっていました。 



「古いマンションでは放水口を箱に入れないことが多々ある」のはなぜかについての理由はわかりません。嬉しいので私はよいのですが、お子様や悪い方々にいたずらされないか不安です。


もやもやが一つ晴れました。
病気じゃなくてよかったです。

20140409

ロゼッタストーン送水口

ロゼッタストーン。
同じ文章が複数(3つでしたか)の言語で書かれていることにより、翻訳のきっかけになったという石碑です。
マンホール界では、メーカー名とロゴマークが同時に刻印されている蓋を
ロゼッタ蓋
と呼ぶそうですが、今日はそのロゼッタ物件を紹介します。

しかも、あのマンホール界の神様と言われている林丈二さんから頂いたのです。



さて、順を追っていきましょう。
まずはここ。横浜の郵船歴史博物館。




の、隣にある横濱ビルの送水口です。 扇形プレート。私のコレクションではこれ一件、でした。
異形オールドプレート、とでも申しましょうか。


もはや使われていない様子で、そばには新しい送水口がスプリンクラー送水口とともに並んでいます。


MURAKAMI との表記はあるものの、村上製造社なのか村上工業なのか、わからないまま。
まあ仕方ないかと半ばあきらめていました。そしてたくさんの写真に埋もれていました。






それがなんと今朝、林さんからのメールで「釜石でこんな送水口を見つけたよ」とのこと。



わーーーーーーー!!
ど、同型!!!!!!!!
しかも蓋つき、しかも



ロゴつき!!!!!!





もう朝から大興奮です。


うむむ、この中央から波にMのデザインは消火栓で有名な前澤工業さまのものかとにらんでいたのですが、ムラカミさんという会社のものでした。恐らくは「村上製作所」 ( 送水口型式認定状況(平成22年度) )さまかと。




ああ・・・・・・・
嬉しい。

他の部分もすばらしい。
ヘッドの部分は横濱ビルのものと多少デザインが異なりますが、プレートはSIAMESEとCONNECTIONの間のピリオドを見ても同じ鋳型でしょう。
この鎖が豊かな感じ。

で、これはちょっと驚きなのですが、
左側の蓋がネジ式、右側が差込式、のように見えませんか?
そんなこと、あるのでしょうか。というかできるのでしょうか。
見れば見るほど不思議な物件です。

また、横濱ビルが昭和25年と現在私がもっているコレクションの最古の送水口の一つだったのですが、こちらは林さんによると戦前のものかもしれないとのこと。
釜石の市役所についていたということなので、その築年数をさぐっているところです。

因みに林さんは本日から台北に旅立っていかれました。
台湾銀行の送水口を見てきてくださるとのこと!楽しみです~~~~。




ところで、


この

「波にM」

は、とっても逸品の多い送水口メーカーです。
有名どころでは交詢社ビル、そして日本橋高島屋、向かいの新日本橋ビルディング・・・
きりがありません。広い範囲で見られます。

こちらが日本橋高島屋。

そして交詢社。

ああ、まさに波にM!




ちなみに高島屋の送水口、
先日の送水口ウォーク、送水口てくてくでは「綺麗!」と称賛の的でしたが、改装時はこんな感じでした。

展覧会で大切にされている美術品のような展示、いや設置でした。



あー興奮した。





追記
※今朝アップしたこのページ、すぐにPONTAさんより大切なご指摘を頂きました。
当初「MURAKI」と勘違い・誤記しておりまして、それを先ほどMURAKAMIに直しました。
それに沿ってMURAKIに関する想像部分を一部削除しています。
経緯はこのページのコメントをご覧ください。早朝から慌てふためいてきちんと点検しなかったこと、大変申し訳ありません。