以前、twitterでその存在を教えていただき、行きたい行きたい・・・・と思っておりました。
その周辺でも探索はしていたのですが、歩いていない場所はあるものです。
それにしても探しているような送水口があるようには見えません・・・・少し焦る私。
しかし!!
ありました!
あまりの感動で思わず佇み、しばし見つめてから撮影。
先ずは送水口。
壁面がここだけ囲まれているのはこの部分はできた当時の壁ということでしょうか。
1999年にリニューアルしたそうなので、その時からこうなったのですね、きっと。
あまりに真鍮が美しいので自分が映りこまないように注意しつつ。
「(設立は1952年(昭和27年))当時の建築基準法での高さ制限31mの中で9階建てのビルを作ることは我が国で初めてのことであったのに加えて、耐震構造、防火構造全てが行き届いており、照明、空調機器その他あらゆる内部構造についても、これによって建築基準法が新しく改正されたと言われています。」
と書かれています。
定礎や資料による建築年確認からして、送水口は昭和30年代よりも古いものはないのではないかと思っていましたが、これは昭和27年。「防火構造が行き届いていた」という文面からすると、高層への送水もこのときに設備として備え付けられたのでしょう。
それにしてもこういったヘッド部分が60年以上ももつとは正直感心・感動するばかりです。
・・・・本当にそのときに設置されたものなのか、今度中の方に伺ってみたいと思います。
・・・・本当にそのときに設置されたものなのか、今度中の方に伺ってみたいと思います。
それはともかく、次に採水口です。
waterではなくwallなのですね。
この足跡型飾り板(もちろん正式名称ではないです)の上部に弁、下部に接続口という華美なスタイル。
メーカーロゴですが、CECの枠が菱形突き出し型(送水口・採水口の飾り板:プレート部)と突き出していない型(送水口本体)の二種類がありました。
鎖フックも美しい繋ぎ方で涙が出ます。ぼやけちゃいましたが・・・。
しかもしかも。その左側にもうひとつ!
美術館ですから、もちろんありますスプリンクラー設備。
こちらは時代は下っていますが真鍮で揃えてあります。
素晴らしきかな黄銅。
うつくしきかな黄銅。
鏡面仕上げなのでこちらも正面から撮ったものは記録用に。
真鍮送水口自体は珍しくはないのですが、歴史あるものについては建築とセットで保存を考えていってほしいと思う今日この頃です。と、考えられるのは傍観者だから、実際にお金を出すわけではないのだから、と言われてしまえばそれまでであることは承知しています。
しかし、知らないままに撤去され廃棄されてしまうのはもったいなさ過ぎるし、消防というものに多くの方々が目を向けるきっかけともなれば、とも思うのです。
消防設備には空飛ぶ広報室も出初め式でのお披露目もありません。
路上で日々人々に訴えかけることができるものの一つとしてとらえていってもよいのでは、とも思います・・。
最後になりますが、教えてくださった方のブログを敬意を込めて貼っておきます。行き帰りのどきどきとしみじみを含めて素敵な時間を頂き感謝しています。
マナイタブログ
http://microrelief.blog49.fc2.com/
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追記
交差点から近い上の送水口・採水口から少し離れたところにも送水口・採水口セットがあります。
壁をはさむように。
かつては集合送水口ではなく、ビルの側面に複数設置したというわかりやすい例です。
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