20160110

低層銀行建築に至宝が眠る・後編   愛知県岡崎市 岡崎信用金庫

さて、岡崎です。




前編では、蓋散歩びとさんのツイートを受けて愛知県一宮に行ってまいりました。
(岐阜はまだですが…)


「その県において第二、第三くらいの都市の銀行または信用金庫の昭和20年代後半から30年代前半にかけて建てられた建築」には単口があるのではないか

というぼんやりとした予想のもと岡崎へ向かったのでした。



さて、見つかったのがこちら。
ではなく、(すみません、あまりに可愛い建物だったので)






こちらです。
この壁面にはないけど・・・



まわってみよう・・・

お?

ああっ

あ   り   ま   し   た !!!!!!




わーい! 
嬉しい!!!
 思わず家族にハイタッチ。(驚かれた)

先ずは全貌を。
この緑青具合。溜息が出るほどの美しさ。
コンパクトなデザインは洗練されているのに可愛らしい。
よくぞ、よくぞ生き残っていてくれました。




とりあえず、落ち着きましょう。
さてこちら、単口なのにサイアミーズコネクション、の自己矛盾タイプです。


下部には大阪電気暖房さまの文字が。


大阪電気暖房さまは、現在ダイダン株式会社と名前を変えていますが、現存する企業様です。
会社ホームページの沿革からすると「大阪電気暖房」という商号にしたのは昭和40年とのことですが、この支店は昭和32年に造られたそうです。

とすれば、建設時ではなく後から送水口を設置した?
しかしそれもなかなか難しいこと。何より昭和40年には中部でも、もう単口は設置しなくていいということになっていたはず。(と思います)

話を戻しまして、昭和32年当時、ダイダン様は株式会社大阪電気商会大阪暖房商会という名前でした。
略称をここに付けたのかな、という気も致します。

尚、当時は管工事の主体となった会社さまが「うちの工事は外には見えない」ということで、唯一外側に出ている送水口にその名を刻む、ということがあったようです。
例えば送水口本体は建設工業社さまが造ったとしても、その発注元であり、ビル全体の管工事をした会社の名前を送水口に入れるように言われた、ということもあったそうです。
これは昨年の送水口ナイトにて伺ったお話ですが、そう考えるとこれまで送水口メーカーか?としてきたものの中にも、「あれは送水口メーカーではないかも」というものがあるようです。

そうなると、この送水口それ自体をデザインし、造ったのは・・ダイダンさまではない、のかもしれないです。



そしてもう一つ謎であること。
とっても配管が細いです。屋内消火栓用という扱いだったのでしょうか。 


弁も見たい気持ちでいっぱいですが、さすがにできません。



この送水口があったのは中央支店。
他の支店も回りたいところですが、その前に行くところがあります。
岡崎信用金庫資料館です。
家族がどうしても行きたい!というのでお付き合いです。



行く途中で出会った吉政公の座像。 
実は柳川時代にお仕事でものすごく、
本当にものすごくお世話になった方です。
詳細は書きませんが、そうでした、柳川に来る前はこちらで城主をお勤めになっていたのでした。
心から手を合わせました。




到着。
岡崎信用金庫資料館。
・・・・・・・・えっ?
なんという凄い建築!!!びっくりです。
(公民館のようなビルを想像していました。すみません。) 

資料館ウェブサイトでは、以下の説明を読むことができます。

が、せっかくですので引用してみます。

岡崎信用金庫資料館は、ふるさと岡崎の発展と文化向上のお役に立ちたいと願って昭和57年に開館いたしました。赤レンガと地元産御影石(花崗岩)を組み合わせた特色ある建物は、本格的なルネッサンス様式を取り入れた建築で、大正6年に旧岡崎銀行本店として建造されました。日本近代建築の重鎮、鈴木禎次氏の設計によるもので、全国でも有数の貴重な建物として、その保存管理に大きな期待が寄せられています。」



そういえば、岡崎信用金庫は本店も優雅で豊かな雰囲気でした。


岡崎という土地に貢献する、という姿勢がいろいろな形として現れ、継続し、その蓄積が歴史的にも素晴らしいものとして遺っているということなのでしょう。

この資料館では管理している方がとても親切にいろいろと教えてくださいました。
そして、なんと昭和30年代に建てられ、かつその建物が現存しているという支店をわざわざ調べて教えてくださったのです。
感涙です。

というわけで、さっそく教えて頂いた
①本町支店(岡崎市内) ②井田支店(岡崎市内) ③尾頭橋支店(名古屋市)
へ。




結果から言うと、残念ながら、三つの支店には単口送水口は「見つからない」という結果でした。

しかし、①②の支店については、既に新しい壁で覆われていたので、もしかしたらあったかもしれません。
③尾頭橋支店は、名古屋だったので、また違う規則のもとに建築されたのかもしれません。

それでも、いくつかの支店をまわり、昭和30年代の低層銀行建築に共通するデザインやその美しさ、繊細かつ重厚な雰囲気というものを感じることができました。

感謝をこめて、写真を載せておきます。




先ずは本町支店。壁の中を見たい・・・


この辺りに・・・あったのかも・・・


続いて井田支店。


こちらも、あったとすれば、この辺りでしょうか。 

そして見つけてしまったのがこちら。
ああ、井田支店はもうすぐ新しいビルになるのですね。
この時代に支店を建物ごと新しくする、ということは凄いことだと思うのです。
一層の発展をお祈り申し上げます。


最後に少し離れて尾頭橋支店。
ずいぶん暗くなりました。 

なんとかっこいい玄関。

ということで、この日は名古屋でご飯を食べて帰りました。
なんと美味しい麦酒だったことか。

最後になりますが、お世話になった資料館さまに改めて心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。


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