【露出Y】考、の前に少しだけ。
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NO.101
5月19日(日)
11時前だけど、今日の家事ノルマ達成していないけれど、そういう日もあるということで潔く(?)寝ます。お休みなさい。寝る前に1枚。超美品の1枚。しかし立地は謎です。詳細は明日。
☆真鍮。露出Yのこの形と楷書体はよく見る組み合わせではあります。ありますが、撮影せずにはいられません。詳細は次。
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NO.102
5月20日(月)
夜になりました。寝る前に一枚。補完の一枚。昨日の送水口がある風景。普通ではあるはずのない場所に送水口。それはここが新橋高架下だから・・・とはいえ、以前ここがかつては道路であったからなのか、それともここまでは車が入ってこれるという想定なのか。新橋高架下の歴史を調べていますがなかなかわかりません。
この送水口がついているお店部分がはじめにあり、そのときに送水口ができ、その後この写真でいう右側の壁がつくられた、ならば納得いくのですが。
実は右側の壁は一番古いのです・・・。
点検証がついていることから、これが現在でも機能している、というか有事の際に機能するものとして扱われているということは確かです。それはつまりここにポンプ車が入ってくることを想定している、と。・・・・・とはいえ狭いです。一口にポンプ車といってもいろいろありますが。
☆ということでまだ謎のままのこの送水口。調査を続けてみます。新橋高架下の歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。宜しくお願い致します。
※8月16日(土)追記:昨日新橋再訪し、この謎はあっけなく解けてしまいました。観察力不足だったというしかありません。
詳細は改めてページをつくってお知らせいたします。
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NO.103
5月22日(水)
おはようございます。よい天気です。日焼けと戦う日々前哨戦。出勤前に一枚。通行を阻む一枚。新橋界隈繋がりで。
比較的新しい、上から見ると三角形に近い形をしている露出Yの送水口です。
そういえば、なにゆえYなのかというと配管からそれぞれの接続口に向かってのラインが120度になっているからです。
さらに、なにゆえ露出なのかというと
壁から出ているから、といえば勿論そうなのですが、では
「露出していないYはあるのか」
というといわゆるスタンダードな自立型、あれの多くはYである訳です。
つまり
一般的な壁埋設・・・露出でもなくYでもない
水平120度に接続口が設置されている自立型・・・露出ではないがYである
上の二つの送水口の例・・・露出でありYである
ということになります。
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NO.104
5月23日(木)
おはようございます。今週は土曜日まで出勤です。木曜日なのに先が遠い・・・気を取り直して出勤、の前に一枚。巻かれ過ぎの一枚。電線が好きなのか好かれているのか・・・
☆そういう意味では、この例は露出しているがYではない、という事例になります。
勿論設計した方々は予測も想像もなさっていないでしょうが。
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NO.105
5月23日(日)
☆そして、これは
まったく露出を拒んでいるがYである
ということになります。
20130815
函館2013 その3 TOYO OTISと沈黙の時間に吹く風
旧市街。
函館市地域交流まちづくりセンター。旧今井丸井百貨店、店舗。
中には手動式のエレベーターがあります。中にいる係の方に頼むと説明つきでのせてくれるのです。
まわりは樹木?と思いきや「赤大理石」とか。なんという豪奢。
係のお姉さんいわく、
「世間にはエレベーターマニアという人たちがいらっしゃいまして、その方達はこの外観よりもOTISの前にあるTOYOという文字にびっくりされるんですよ~。」
とのこと。
「という人たち」って。それはいいとして。
エレベーターの床と地面の高さを合わせるのが大変なんだとか。ふむふむ。
かつてはエレベーターガールがこの大変な箱をよいしょよいしょと動かしていました。
そのときにこの札も使っていたそうです。
壁には階数表示が書いてあり、エレベーターが動くとそれが見えます。
手動なので、途中で止めることもできます。
そしてシャッターを開けてくれました。がらがら。
6階の文字が消してあるので、もしや!と思い、お姉さんに質問したところ・・・。
かつては屋上遊園地があったとのこと。「もちろん今は閉鎖していますけど」と。
うわあ、見たかったです。
で、これが5階からの風景です。
そしてもちろんエレベーター内は禁煙です。
このように、しっかりと歴史を伝えるべく保存されているものがある一方
時の流れに朽ちていくものもまたありました。
このまま保存されるのか、あるいは・・・・。
HOTEL NEW HAKODATE
北方歴史資料館
エビス商会
旧ダイエー
看板にはホリタの文字も。来年には取り壊されるとか。
倉庫。かつては製氷に使っていた?
ここにあげたどの建物にもかつて人々の喜怒哀楽があり、そして消えていきました。
それらを全て再現することは不可能であり傲慢です。
けれどこの時間に繋がるあらゆるできごとを愛おしいと思って生きていきたい。
そうカメラの前で感じました。
20130814
函館2013 その2 消火栓と蓋 編
今回話題がぽんぽん飛びます。
宜しくお願い致します。
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函館のサイトを見ると必ずのっている黄色い消火栓。
地上消火栓。
これです。
この子たちときたら近付いても全く意に介しません。写真撮り放題です。サギらしき鳥もいました。ダムと鳥が好きな方は是非。函館からバス、赤川小学校前で下車です。
一応書いておきますが、ここもまあ何というか・・・はしご車でした。
宜しくお願い致します。
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函館のサイトを見ると必ずのっている黄色い消火栓。
地上消火栓。
これです。
【地上消火栓への水供給】
先ずは「水」のことから。
函館名物、黄色い消火栓。
中央の立管の内径150mm、放水口は両サイド125mm、正面が65mm。
他の地域で見られる地上式消火栓は65mmで単口あるいは双口が多いことを考えると異形です。
現在は三口、四口の消火栓もありますが、使用する水量のことを考えると当時では画期的だったと言えるでしょう。
内径が太くなるほどに使用する水量は勿論増えますが、或る程度の水量を送らねばきちんと放水できないということも意味します。
ところでかつて開港のころ、下記の問題が函館を悩ませていました。
人口増に伴い生活水・飲料水の需要が増えたこと
地形的に風が強く、火災が多発したこと
コレラなど伝染病が流行したこと
これらの問題を解決するべく、函館は横浜について二番目に近代水道施設を「日本人が」監督して完成させました。
開港1859年から30年。このころの日本のバイタリティを感じさせる偉業の一つです。
その後もダムの建設などを続け、函館は安定的な水道供給を誇るまちになったということです。
ダムと言えば今回初日、着いてすぐに向かったのは笹流ダム。
日本で六基しかないバットレスダム。しかも本邦初とか。
それにしても、巨大なコンクリの塊には心惹かれます。
下から見上げる堤体、大迫力です。そして近付くととても涼しいのです。
よいしょよいしょと天端にも上がりました。ふう。
ダム湖かなりたぷたぷです。
しかもこんな山の中に・・・カモメ? カモメですか?
この子たちときたら近付いても全く意に介しません。写真撮り放題です。サギらしき鳥もいました。ダムと鳥が好きな方は是非。函館からバス、赤川小学校前で下車です。
・・・・・いや、消火栓の話でした。
【地上消火栓と地下消火栓】
函館の名物となっている地上消火栓ですが、はじめは地下埋設だったとか。
しかし、雪国なので冬にはいざというときに見つけにくい。そこで、新たに造られるものは全て地上式になったそうです。
色が黄色というのも雪のときに見つけやすいからとか。
確かに屋外消火栓と言えば赤いというイメージがあります。誇り高き真紅。
そういえば、伊豆でも黄色い地上消火栓を見ました。こちらは積雪はあまりないのではと思うのでその理由は不明です。色も函館と比べると少し薄い。さらに新しいものはステンレスでした。色の理由、調査続行。
一方、函館の屋外消火栓は年間150体ずつ塗装され直しているそうです。2012年の資料で地上式は2361本(市消防本部より)というデータがあるので(ソースによっては3000体近くと書いているものも)20年近くに1どは塗り直される計算です。
ただ、消火栓によって塗り方が異なっているケースがあるのでそれに気付くとちょっと楽しかったりします。
ちなみに、地下消火栓も新たには造られないまでも、使用できる状態にあるものは350箇所を越えるそうです。
それがこれ。
この蓋と似ているものとして、矢印がついているものもありました。
こちらは地上消火栓のメンテナンス用であるような気がするのですが・・・どうでしょうか。
これが地下式そのものだとしたらあまりにも数が多いような気が致します。(※追記①へ)
なお、防火水槽もしっかりと機能しているようです。
一応書いておきますが、ここもまあ何というか・・・はしご車でした。
実際に屋外消火栓なり防火水槽なり、採水口なり・・・そこから水を採るのはポンプ車です。
なのに。
全国の消防関係のマンホールの蓋に描かれているのははしご車。
理由はただただ「消防車っぽいから」。
がんばれポンパー。ポンプ車の書いてある蓋がありましたら撮りにいきたいです。
さて、最後になりますが、地下式消火栓の四角い蓋+丸蓋。
同じような蓋が五稜郭タワーのそばにもありました。あれれ・・・。
ということであっちに行ったりこっちに行ったりと忙しいページになってしまいました。
最後になりますが、函館の地上消火栓を造っているのは「村瀬鉄工所」さまというところです。
裏側に明記してあるのですが、この文字の美しいこと。
村瀬鉄工所さまは現在でも部品を自社で製造、一つ一つ丁寧に消火栓を造っていらっしゃるそうです。
2013年8月15日 追記
①矢印がついているのは「仕切弁」であるということです。
情報提供:馬明さん(ありがとうございました)
②この村瀬鉄工所さまですが、市内にある電柱も造っていらっしゃいました。
写真を整理していて「ああ、ここにも!」と思い出した次第です。
ロゴが少し古い感じで素敵です。
今回参考にさせていただいたブログなど
20130813
函館2013 その1送水口編
2013年夏。
函館に行って参りました。
出発予定時刻最終許容ラインの15分前に徹夜明けで帰宅した家族を追い立てるように出発。無事函館空港に着きました。
というわけで函館空港の送水口。新品です。採水口もここに一つありますが、
中央付近、そして反対側にも採水口のみありました。こちらもステンレス。
函館は昭和はじめに大きな火災を経験したそうです。風が吹き荒れ、甚大な被害が出たということでした。まちの悲しい歴史ですが、函館の人々はそれを克服してきています。その一つが多くの耐火的な建築。
それは高層化ビル建築の許可前なので時代的にも建築的にももともと送水口はついていません。それらの建物が残っているこのまちは思いっきりレトロな送水口はないだろうとの見通しをもっておりました。
というわけで狙い目は昭和50年代付近のがっちり系送水口です。
まずは駅前。
中央はひとつ潰しているようですが、(もしかしたら一口の採水口があった?)あまり見ない色のプレートの送水口がありました。
「下○のプ」。差込式で錆は来ているものの、蓋だけはあとからつけたようです。鎖を繋ぐ部品がかっこいいです。
検査証に「北海道」の文字。北の国に来たのだなあと実感しました。
駅前からもう一つ。赤キャップ発見。
さて、結果から言うと、今回の函館では予想通り真鍮で金色ぴかぴかのものや、大きな馬蹄形というか逆瓢箪型のプレートのものにはであいませんでした。
しかし、素敵だなあと思う送水口はたくさんありました。なのでご報告いたします。
【丁寧な配置(位置・系統)図たち】
↑それぞれの階ごとの放水口の位置が送水口の横に掲示されていました。
送水口、採水口、そして放水口の場所は事前に当該消防署・出張所が把握しているそうですが、それをきちんと表示しているということは居住者向けなのでしょうか。観察する人にとっても嬉しいです。(東京の老舗百貨店でもやってほしい。)
これ↓も放水口の位置がわかる例。(赤プレートの方は消えていますが)
送水口のアイコンがスタンダードなものと多少違う(角部分がTでなく+)のと、放水口のアイコンが消火栓のようであるということはありますが、全ての階について書いているのが素晴らしい。
もうひとつ。「市電通り」の文字がぐっと来ます。函館送水口。
スプリンクラー系統図ではないのです。あくまでも連結送水管送水口の系統図。
丁寧・・・!
【自立型の接続口付近いろいろ】
隙間。
おそらく後付けのステンレス枠。
次は函館の老舗百貨店、丸井今井のもので昭和49年製の物件です。
二つともちょっと短めですが。
左:スプリンクラー用は錆びている鎖。針金で緩んだ接続口の補修もあり、ごつごつ感が高められています。
右:連結送水管用。蓋と鎖を取り替えられたようですっきりスマートな風情に。
比べて観察すると飽きません。
広い広い函館市の、中心街のほんの少しの区画をまわっただけなのですが、アクリルには出会えませんでした。ただ一つ。かつてアクリルだったというもの、それだけでした。
【摩周丸の送水口!!】
青函連絡船の資料館となっている保存船「摩周丸」に行って参りました。
青函連絡船。
青函トンネルの完成とひきかえにその姿を消すことになった航路、船たち。
そんなの夢だ、と言われた青函トンネルを実現させたのは1954年9月26日に起きた「洞爺丸事件」だと言われています。それは予測を超えた動きをした昭和29年の台風15号によって五隻の船が沈没した事件のことです。
しかし、ここに行くと、洞爺丸事件を事件と呼ぶのは心が痛くなるほどに、青函航路を大切にしてきた人たちの偉業が、熱い思いが、そして事故を防ぐための繊細な努力が伝わってきます。
さて。資料館で先ず目に入るのは1988年の「さよなら青函連絡船」の一連のポスターです。
「最後の夏の、汽笛が響きます」
「秋が、波間に消えていきます」
80年もの歴史を支えてきた方々、人生を切りひらくために連絡船に乗ったことのある方々の思いはいかばかりか、と思います。
そんなことを思いつつ船内をまわると、新しい放水口があるではありませんか。
資料館として生まれ変わったので、そのための消防設備が必要になったということです。
ということは・・・・!!!
ありましたっ!
しかし何とも不思議な設置の仕方です。
船の中にある送水口。保存船ならでは、でしょう。護衛艦などでは見られない設備です。
どうしてこのような形になったのかはわかりませんが、或る程度の高さが必要だったということなのでしょうか。
因みに万が一の自体のときにはこの写真の右側からポンパーが登場するのでしょうか。
【「ホーチキ」に出逢う・・・・メーカーロゴたち】
まずはこれをご覧下さい。
ホーチキ
です。まちがいなく。
実は最近「送水口の日本登場のころ」について調べていまして、すでに大正時代に火災報知器をつくったのがこの「ホーチキ」株式会社の前身となる東京報知機株式会社だということはわかっていました。
その中で「連結送水管設備」という項目があるにも関わらず製品情報では送水口はないことが気になっていました。しかし「生産をやめた製品」の欄にもその記載はない。
まあいいか、とそのままにしていたら・・・・・・!!!
送水口としては壁埋設で、こんな感じでした。
写真が暗いのは、二日目の「夜に出逢ってしまったから」です。
まさかの邂逅でした。心の準備ができていませんでした。
いやしかし嬉しい!!!
しかもこの立体的なロゴマーク!!すてき過ぎます。このままピンバッジにしたいくらいです。
ただし不安なことが。
この送水口、旧ダイエーの建物のものなのです。
旧、です。
因みに函館五稜郭店です。
「流通の記憶」というサイトを運営していらっしゃるMACLORDさまに頂いた情報によれば、もうすぐ解体されてしまうとのこと。
えーーーーっ!!!
ということはこの送水口も・・・!!!!!
というわけでさっそく翌日明るい時間帯に再訪。
微かに残るダイエーの文字。
この店舗については写真を後ほどまとめてみたいと思っています。問題の送水口はこの写真の更に右側にありました。
こころゆくまで写真を撮りました。
しかし、近々廃棄されてしまうのだと思うと居たたまれない気持ちになります。
このロゴ部分だけでも欲しかった・・・。
おまけ。
函館で見つけたロゴ。
やはりありました「CEC」。これは既出の今井丸井のものです。
はじめて見ました、「NK」。
こころなしか 関東でよく見る 「KS」 に似ています。
新しいまちに行けば新しい送水口との出会いがあります。
今回もなかなかに素敵な旅となりました。
とはいえ送水口以外にもすこし撮影してきたものがあるのでご紹介いたします。
というわけで函館編つづく。
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