20131104

大阪神戸、2013秋の陣。近代建築に酔い痴れる編Ⅱ ~大江ビルヂングと高麗橋野村ビルディング~

大阪神戸編 その4です。



曽根崎変電所を出て少し歩いて見えてきた美しい建物。


大江ビルヂング。

五階建てです。
ということはもう一般的な送水口は必要ない、と。
しかし。
地上近くを見ると・・・。


ありました!!!


単口!
しかもしかも


日本機械工業社さま製です!
日本機械工業社さまといえばNIKKIブランドの消防車で消防業界その名は知らぬもののいない老舗企業です。そしてあの「町野式」の開発企業でもあります。

しかし現在では送水口は製造していません。

したがって、これらの送水口は本当に本当に守っていかねばならないと思うのです。
建物の改修や閉鎖・解体に伴って、なくなっていくものも多い昨今。企業の歴史をも語るこの設備をなんとか残していってほしいです・・・。




現在製造されている製品では全く見られないこの逆三角形の柔らかなラインのプレート。
レアなSTAND PIPE表記。
私が他に知っているのは日比谷公会堂、築地菊栄ビル、そしてこの後紹介するものと数件のみです。(※ただし日比谷のものは既に撤去、菊栄ビルは解体が決定)もちろん私の知る範囲なのでもっとたくさんあるとは思いますが、レアであることはまちがいありません。
外国のものではこのように立管でなくてもSTAND PIPE 表記が普通にありますが、日本ではほとんどありません。
ありませんが、今回いくつか見つけたので正直驚いています。
私自身は壁面のものにこの表記はとても違和感があるのですが、これらが設置されたころは「外国でそうなんだからそれでいこう」となったのかと思われます。
もっというと、欧米など近代消防発祥の際、送水口は自立型がはじめにできたのかもしれません。
これはもう少し資料を集めないといけません。



STAND PIPE表記の両側にキラキラ。
接続口の下には
NIPPON KIKAI KOGYO.CO.の文字。感激です。

それにしても一体どのようなキャップだったのか。
想像すると胸が高鳴ります。


せっかくなのでロゴマークをアップで。


日本のNと工業のKでずっとNKだと思っていたこのマーク。
先日の防災展でMKの略と知り、驚愕したこのマーク。
( 参照→  http://sousuiko.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html )

こうやってみると確かにMKです。

送水口の近くにあった右書き制水辨の蓋。
歴史を感じます。



大江ビルヂングをあとに、続いてもう一つのスタンドパイプ表記の送水口へと向かいましょう。

こちら。
高麗橋野村ビルディング。
昭和2年につくられた建築で、なんと各所に瓦が使ってあるのですが、今一つ日本ぽく見えません。
このビル、実は10年ほど前に一度訪れているのでした。
再会に指が震えます。
おお、サンマルクが入っている。前は何だったっけ・・・それにしてもサンマルクがあるビルは素敵な送水口が多い、というのは気のせいでしょうか。(気のせい)


なんとも風格ある玄関です。
 月(?)のオブジェが可愛い。


角を曲がると・・・。ありました。


どきどきはすぐに覚めて、まだあった、という安心感が私を包みます。


露出Yとしては究極まで球部を小さくし、望遠鏡のような接続口がついているというかなり異端な物件です。
しかし美しい。
そしてこの透明とも不透明ともつかぬ真紅のアクリル。

向こうを通る人が明らかに不審な目で見ていますがだって仕方がありません。


上から見ると外の送水口との違いがよくわかります。


何枚撮ってもいつまでいてもキリがないので最後に正面から撮っておしまいに。


またいつか来ます。そのときまで撤去されずにいてください。


5 件のコメント:

  1. 初めてコメントさせていただきます。

    送水口には今まで全く注目しておらず申し訳ないのですが、奥が深いものですね。
    日本機械工業はきっと八王子にある会社の事だと思いますが、仕事中に発見して軽く建物を撮った事があります。
    詳しい事はわかってないのですが(会社に問い合わせてないだけ)歴史ありそうな素敵な建物です。

    消防車がいっぱいあってそんな関係の会社なんだろう~としか思っていなかったのですが、
    送水口も製造されていたのですね。
    僕が良く見に行く歴史的建造物にもきっとたくさんあった事だと思います。

    少し過去記事も読ませていただきましたが、日本機械工業は片倉製糸の子会社だったとは驚きです。
    現在、その八王子の会社の目の前に古い木造のいかにも養蚕で使われていたと思われる建物が残されているのです。
    現在はそちらの社員達が使われている様子なのですが、そんな関連があったのですね。
    (ブログに載せたと思っていたら載せていませんでした)
    八王子は養蚕が盛んだった町でもあるのですが、長い間ずっと疑問に思ってた謎がとけました。

    自分はレンガと洋館、戦争遺跡などがメインでマンホールなどはまだ初心者なのですが、
    異文化交流で新しい事も発見出来るのだなと改めて思いました。
    今後も色々と参考にさせていただきます。

    返信削除
  2. 仰る通り八王子の日本機械工業のことです。現在では消防車両を中心に防災関係の物品を製造なさっています。 防災展でお話を聞いた後、こちらのブログ http://www.hirotarian.ne.jp/backno/2212-rekisi.html を見て、さらになるほど~と思いました。私は建築について全くわからないのですが、古い送水口を調べていくうちに建物のこともわかっていないといけないなあと強く感じていたところです。こんなふうに交流ができていったらとても素敵だな、と思います。こちらこそいろいろ勉強させてください。これからもよろしくお願いいたします。

    返信削除
  3. この位置に送水口がありますが、設計の段階からあったのか一考してしまいます。
    当初から地下が存在し、明かり取りの空間がぽっかり口を開けている部分に接続口がありますね。
    もしもの場合を考えると・・・・
    高麗橋野村ビルディングの送水口プレートの周りをよーく見ていると、うっすらと跡のようなものが見えますが、同じような形の物が付いていたように思えます。
    ああ、どんなものだったのか。。。。。
    ああ、文面からとても愛を感じますね(^^)

    返信削除
  4. 仰る通り最初からはなかったと思います。大正期にはまだ高層階の消防をどうするかを考えていたのはごく少数の人だったと思われます。そしてもちろん法整備もしていなかったと。ただその少数の方々が近代消防への道を切り拓いてきたのだと想像します。送水口がはじめてこの日本にどんどん現れていったとき、人々の反応はどのようなものだったのか。そのときに日本初の送水口マニアが誕生したのではないか。そういう人がもしいたら会ってみたいものです。

    返信削除
  5. 仰る通り最初からはなかったと思います。大正期にはまだ高層階の消防をどうするかを考えていたのはごく少数の人だったと思われます。そしてもちろん法整備もしていなかったと。ただその少数の方々が近代消防への道を切り拓いてきたのだと想像します。送水口がはじめてこの日本にどんどん現れていったとき、人々の反応はどのようなものだったのか。そのときに日本初の送水口マニアが誕生したのではないか。そういう人がもしいたら会ってみたいものです。

    返信削除