現在、私のヒーローと言っても過言ではない村上社長。
今回は西新橋のとあるビルが解体される、という情報を聞き、そこの送水口を「救出」しようと計画してくださいました。
「その作業を見せてください!!」と懇願、日時を調整してくださり、現場へ行けることになりました。
当日は快晴。五月と思えぬ暑さです。
事務所の1階の倉庫(があったとは2週間前に行った時には気付きませんでした・・・)のシャッターをガラガラと開け、準備する社長。因みにツナギを着ていらっしゃいました。かっこいいです!
ところでこの台車・・・送水口を持ち運ぶためでしょうか。
土曜日なのにいらしてくださった社員のOさん(ありがとうございます!!!)とともにてきぱきと道具を詰め込んでいきます。
・・って角材?
鉄パイプ?
タオル?太い銅線??そして・・・レンチ。
な、なんだか大変なことになっています。
さらにトンカチ・・・??他にも初めて見る道具がたくさん入っています。思わずどきどきわくわくです。
・・・が、悲しい現場に行くのです。気を引き締める私。
私のも含めてヘルメットを3つ入れて準備完了!
ビルは既にすっかり解体作業に入っており、外からは見えません。
(と初めて見たように書いてみましたが、実は数日前、夜にここへ行ったのです(下見))
私のキライな掲示物・・・(T_T)
現場の方々に挨拶して入れてもらいます。
現場監督や工事している職人のみなさまにも、そして警備員さんにも笑顔で声をかける社長。既に顔馴染のようです。私のことも事前に紹介してくださっていて、あたたかく迎え入れて頂きました。本当にありがたいことです。というわけで私もヘルメット装着。
さて、これが今回救出される送水口。
片仮名表記の飾り板、下部には麗しき水流にMのメーカーロゴが入っています。
蓋は鉄製で琺瑯による着色(かつて赤かったようです)が施されている丁寧さ。
鎖は蓋にかかっている部分が「THE 村上」という感じ。
村上製作所産であることをはっきりと示すあの捻子部分(※後日記事に致します)も勿論あります。
↑興奮して思わずぶれてしまいましたが、こういう立地でした。
壁面と足場の境目での作業。私はとにかく迷惑にならないようにはじっこ待機です。
このときに落ちていた足場作成用金具。かっこいいと思ってこっそり撮影してしまいましたが、これが後で大活躍することになろうとは・・・。
さっそく用具を準備する社長。
先ずは蓋を確認。
ねじ式なのでくるくる回して外します。ものすごいスピードです。
あっと言う間に取れました。
この蓋、ときどきなくなっているのを見かけますが、それは「盗難」のためだったそうです。
質の良い銅製品。高く売れたのでしょう。新聞にも載っていたとのこと。
なんという酷い犯罪。非人間的ですらあります。市中引き回しの上打ち首です。(本気)
前回触りましたが送水口の部品はどれも重いのです。
そしてとてつもなく精巧です。
二つとも外された蓋。こうしてみると鎖は長いなあと思います。
いつも絶妙な長さでその美しさを際立たせている鎖。設置場所によってその長さも変えるそうです。ものすごいこだわりがあります。
そんなこだわりをもって造られ、設置され、常に点検されてその性能を保ち続けてきた送水口。
一度もその力を発揮することがなく、今取り外されようとしています。
火災という被害を受けなかったわけですから、
それはとてもとても幸せなことです。
わかってはいますが胸が締め付けられます。
外されて揺れる蓋。
その時がとうとうやってきた、と送水口にこころがあったならば覚悟を決めるべき瞬間だったのかもしれません。
弁を押してみます。水は出てきません。OKです。
村上社長は「40分くらいで終了するから」と現場監督に伝えていたそうです。
さて、作業開始です。
・・・が一体どのように行うというのでしょうか。
まずはおもむろに接続口を二本の角材で挟みます。(写真がぶれました・・)
これを使って回転させて外すと!!!!
露出Y型だからできることですね。
さささ、と角材をタオルでくるみ、もう一度あてがいます。
傷をつけないためです。なんて優しい・・・(T_T)
下にも角材。
手際よく銅線を結んでいく社長。Oさんとの連携も抜群です。さすが!
「小学校では紐を結べるように指導するべきですね」とのこと。同感です。
いつ送水口撤去作業をすることになるかわかりませんし!(違)
どんどん固定される送水口。ここで今一度蓋を被せます。
しかし、なかなかうまく回りません。というよりもびくともしません。
社長とOさんの間で「トルクが・・」という言葉が飛び交います。
物理で勉強しましたが、日常生活で初めて聞きました。かっこいい・・・・
もってきた鉄パイプを角材に追加。
もう一度回します。・・・がまだだめなようです。
私は手に汗を握るばかり。何にもしていないのに緊張で咽喉がからからです。
鉄パイプの位置を変えて固定し直します。
「送水口、可哀想だ」と社長の独り言。送水口愛を感じます。一人うるうるする私。
さらに固定。
因みに初めの方に出てきた細い鉤状の道具はこれを占めるときに使われていました。
と、ここで現場監督のHさんが登場。
「これはそんなに貴重なのですか」と気になる様子。
「貴重です!素晴らしい製品です」と答える私。
通常は「このくらいの規模の設備ならば」ビル壁面の解体と一緒に潰すようです。
こんなふうに保存のために、傷つかないように撤去することはあり得ない。
この作業は、というか既に工事ですが、日本初でしょう。
丁寧に、丁寧に。
これまで見てきた膨大な「閉鎖系」。
それらも送水口を撤去、あるいは塞いでいる訳ですが、その場合はもう廃棄するわけですから、撤去の際に送水口自体が傷ついてもよいわけで・・・うう、あまり想像したくはないですが。
ともかく、傷つけずに取り出すための格闘が続きます。
なんと、監督さんもついに撤去作業に参加。
ワイヤーを貸してくださいました。ぎゅう、と一層強く挟まれます。
しかしこれでもまだ回りません。
更にワイヤー追加。
パイプの位置を変えてみたり。けれど角材がみしみし言って、寧ろそちらが折れそうです。
大変なことになってしまい、すみませんすみません・・・と思いますが、
「絶対美しいままで外すのだ!」というオーラが社長やOさん、監督さんからも溢れ出しています。
かっこいいです。ただただ見守るのみです。
ちょっと攻め方を変えよう、と一旦すべてを取り去ります。
そしてもう一度蓋をあけ、そこにぴったりはまる太めの鉄パイプを差込み、レンチで回す作戦へと移行。
いろいろな技や道具がこれでもか、これでもかと出てきます。
ぎゅー・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・手ごわいです。本当に。
すでに2時間近く経過。
社長、Oさん、そして監督の3人で真剣に話し合い。
「仕切り直すか」
「ビル壁面を撤去してから」
「上から壊すから送水口が無傷でいられない」
「裏からいくか」
「ちょうど裏に消火栓がある」
「送水口の裏まですぐにたどり着けない」
「時間の無駄になる。やめたほうがいい」
「いっそ継ぎ目をバーナーで」
「それは送水口が傷むからまずい」
そして、工事現場の若い職人さんも参加してくださって、もう一度初めの方法に戻ることに。
けれど今度は足場用のパイプとあの連結金具を使っての作業になりました。
捻子を固く固く締めるための電動ドライバも登場。
ぎゅいーん、と泣く子も黙るかっこよさ。
なんと、コンパクトな工事現場に早変わり!!!!!!
さらに固定するために角材を挟んで・・・・ぎゅー!!
あっ!!!!!
う ご い た !!!!!!!
ついに動きました!!!!!
少し動きましたが、プチ足場が緩みます。さらに固定。
角度を変えながら更に回します。
手伝ってくださった若い職人さんがアクロバティックな動きで力をかけます。
「動きだしたらグルっといくから気を付けて」と的確で優しい現場監督。
そして・・・
外れました~~~~~~~~~~
(あまりに感激してプチ足場を外すところは撮影記録無し)
最後は手で回します。
丁寧に、丁寧に・・・
喜び合うみなさん。
「重い」と言いつつ「ここで落としたら苦労が無駄に」と慎重な手つきで拾い上げます。
私は何にもしていないのに泣きそうでした。
廃棄されずに残った「サイヤミーズ」
作業のあとにぽっかりと残った空隙。
50年の時を経て触れた空気はどんなにおいなのでしょうか。
飾り板の跡がくっきり残る壁面。
しかしそれもひと月後にはこの世から消え去っていることでしょう。
現場の方々にお礼を言って事務所へと戻ります。
プラスチックの箱に入っていると海産物のようです。
お疲れ様でした!!!よかった!
3時間近くに及ぶ激戦でした。
送水口を保存したい、とっておきたい、とこれまで軽々しく言ってきましたが、こんなに大変な作業になるとは想像をはるかに超えていました。
文化を残し、歴史を繋ぐということは、物理的な面では机上では想像しえない大変さがあるということを改めて実感いたしました。
先ず素人には無理です。絶対に。
このように理解してくださる方々がいて初めてできることです。手あたり次第など無理で無謀です。
続けるのならば、時間とお金と、そして何よりも価値付けが必要です。
因みに救出した送水口は事務所に安置。
「送水口ナイト」をやるときにお披露目しましょう(!!!!)と社長が仰っていました。
いつの日か、文化財としてたくさんの人々の目に触れることがありますように。
行動する村上社長の姿を見て、私もちゃんと形にして活動しようと心に決めました。
今日もまた人生の思い出として残る素晴らしい一日になりました。
村上社長、Oさん、現場の皆様。
本当にありがとうございました。
そして
お疲れ様、サイヤミーズ。
なんと素晴らしい、感動的な、愛に満ちあふれたレポートでしょう。
返信削除心打たれました。
あくまで人力というのがしみじみしますな。
Ayaさんへ、その社長より。
返信削除昨日はお疲れ様でした。小生は、結構な筋肉痛の朝です。
特に両ももが、張っています、きっと送水口に縛りつけたパイプを回すのに脚の力を使ってたんだとわかりました。
外れないと諦めなかった現場監督さんに、本当に感謝です。
メダルを取るまで決して諦めないトレーニングのような"スポーツ魂"を感じました。
そして、そこまでの道のりが、成し遂げた達成感をプレゼントしてくれました。
とても素晴らしいですね。
返信削除皆さんの愛を感じます。
こうやって残す事で歴史と貴重な資料になっていくのですね。
そして、他の送水口でも救出する事例が増えていく事を望みます。
今まで守ってくれた守り神さんですね。
ありがとうございます。
解体される物件は簡単に見つけられそうですが、文化的遺産とされる送水口をどのように解体保存が必要と社会に訴えて行くのか、、、本当に難しいです。
返信削除しここさん、Yukiさん、そして村上社長さま。
返信削除まとめてしまって申し訳ありません。仰る通り、私が日常ではほとんど使わない、そして敢えて使おうとしていない「愛」があったのだと今は思います。
そして愛を超えて、Yukiさん仰る通り歴史的な価値ある資料の一つにしなければ、と思います。
しかし、いろいろ、本当にいろいろ考えさせられた一日でした。
この日本社会の、経済の中でこれは本当にやってもいいことなのか。
どんなものでも歴史の中に消えてゆくのではないのか。
歴史とか資料とか言っている私の立ち位置はいったいなんなのか。
一つの答えが本日あげた記事です。
送水口が少しでも多くの人に知ってもらえるのならば。
土曜日に村上社長さまが、Oさんが、現場の方々があきらめなかったように、試行錯誤でも、続けていきます。