実は昨日(2015年7月11日)、あの八重洲の至宝、ブリヂストン美術館の送水口救出作業が行われました。
**************************
ブリヂストン美術館。
終戦後、人々の心を芸術によって豊かにしようと設立された美術館。日本人が忘れてはならない大切な記憶であり業績です。
しかしそれだけではありません。
2013年の拙ブログでの記事 「黄金郷は八重洲にあり」 でも触れましたが、「わが国で初めての高さ制限31mの中での9階建てのビルの建築」であることで、高層階の防火対策が重要になってきたということです。その中で設置された連結送水管送水口は、アメリカの送水口を輸入したものではなく、国産のものでした。
建設工業社様のCECの刻印を背負うその送水口は、余りにも神々しく、送水口ファンの間では至宝、いや国宝と呼ばれてい(るといいなあと思い)ます。
そんな美術館が解体されるという情報を、「ステルススイッチ」のみわさんから教えて頂きました。
そしていろいろあり、(この辺りの詳細はいずれ)なんと日本送水口の歴史の二大巨頭、村上製作所さまと建設工業社さまが中心となってこの送水口を金属ごみへとなる運命から救い出すことになったのです。
***************************
工事用のポールで囲まれ、蓋も外された送水口。
二年前と比べて色が少々くすんできていました。
60年余りという長い長い間、この東京の街を観てきたこの送水口。
ついにその持ち場を離れることになったのです。
先ずは隣にあるスプリンクラー送水口の飾り板が外されます。
こちらはどこの製品でしょうか。見慣れない形の弁であるような気がします。
この飾り板を外したとき、ある事実が発見されました。それが今回の救出劇の成功の一因となったのです。
次に採水口。
・・・・そして、送水口。
これまで行われた西新橋、そして川崎の救出活動に比べて工事は非常にスムーズに行きました。
経験と、そしてチームワークの力を改めて感じた一日でした。
そしてそれを支えたのは「諦めない」「困難が生じても何とかする」という前向きで強靭な村上社長の意志に他なりません。
最後に撤去跡をカバー。
送水痕を丁寧に覆います。
活動は終了、現場を後にします。
道行く人たちに、「これが最後の姿ですよ!!!!!」と片っ端から声をかけたかった。
観ておいてください、と。
この工事を成功させる上で、積み重ねてきた技術が発揮されたり、
撤去したことで意外な事実が浮かび上がってきたり、
・・・・したのですが、それはまた後日。
送水口ナイトで詳細をお届けできるかと思います。
ここではあまりに長くなりすぎるのと、今は想いが整理しきれていない。
ですから、もう少し時間を・・・ということで。
最後に、個人的に我儘を言ってまいりました。
それはきっと抜け駆けというものですが、いえそうだとわかってはいるのですが・・・
ごめんなさいごめんなさい。
撮影させて頂きましたっ!
ロゴと社名入りヘルメット!!!!!!!!!
そして、ロゴ刺繍つき作業着!!!!
救出作業にうるうるとなりながらも、最後に撮らせてもらおうと虎視眈々としていた私を神様許してください。
(本当に)最後になりますが、今回救出されたサイアミーズ、ハイドラント、SP送水口たちは送水口ナイトでは勿論、秋からも或る形でお見せしたり、触れていただいたりすることができるようになります。乞うご期待!なのです・・・・!!!
完
お疲れさまでした。仕事の後のあの生ビールの喉ごし忘れられません。
返信削除あんなに美味しい生ビールを残りの人生で何杯味わえるか・・・というほどの至高の喉越しでありました!ありがとうございました!!
返信削除