「インベーダー送水口」とは、たしか送水口博物館館長が付けた愛称だったかと思います。
インベーダーゲームというものが昔ありまして・・・と説明するのも無粋なのですが、まあそんなふうな「陣形を組んで」いる送水口があります。
いえ、あったのです。新橋の物産ビル別館に。
このビルの壁面に、その送水口達は物凄い存在感をもって君臨していました。
五基全て金色の村上製露出Y送水口でした。
なんという神々しさ、なんという贅沢。
真鍮のように見えますが、そして私も村上送水口博物館館長様に教えて頂くまではそう信じておりましたが、青銅製だそうです。時を積み、磨かれ続けてほんのり赤く、深く輝き、そして柔らかな光を放つ名品中の名品といえましょう。
村上製漢字表記露出Y送水口に純正金属蓋があるものはどちらかと言えば少ないのです。こちらもその例でしょう。純正品と比べるとツマミが角ばっていて、少々薄く、中央の突起も別パーツ・・・??のようです。 そして、鎖も細く華奢なステンレスのものをどこかから調達したようです。
因みに純正品はコレとか
コレとか
コレとかです。
そして、実は館長に見せたくなかったのですが、その理由がこちらです。
多くは語りませんが、現場の判断でこうなったのでしょう。切ない。
ところでこちらの送水口達。
「送水口」とは書いてありますが、
地下階用の「連結散水設備用送水口」です。
連結散水設備は地下階や地下街の火災に対応するために設置され、スプリンクラー設備のように天井の消火ヘッドから散水します。散水が滞らないよう外部から注水を続けるための水の供給口がこれらの送水口です。
地下階や地下街は広く、倉庫などに使われている場合も多い為、全ての区画に水損が及ばぬよう区画ごとに散水できるようにしています。選択弁がついていて一つの送水口で事足りるようにしているものもありますが、ここでは区域ごとに担当する送水口が存在しています。
消火すべき場所へ確実に送水するため、識別のために送水口の蓋に色を塗ったり、番号シールを貼ったりするのですが、ここでは飾り板に彫り込まれています。(表示板は後から付けられたもののようです。)
複数の送水口で対応する場合は大きなプレートに壁埋設送水口を集合させたり、自立型送水口を並べたりということが多いのです。露出Y型送水口を選択するということは、唯一の事例ではありませんが、非常......!!!!に稀であります。消防設備(正確には『消火活動上必要な施設』)にここまでお金と壁の面積(露出しているのですから空間も!!)を使っている。感激するばかりです。今から造るとなったら決して在りえない選択肢でしょう。
そんな
そんな物産ビル別館が、解体されます。
ちなみに物産ビル別館の竣工は1968年(昭和43年)。あと一年で半世紀・・・というところでした。
ではこの送水口たちはどうなったか。
送水口の神様は、彼らを、見捨てなかった。
今現在、四基の送水口が送水口館長の村上さんによって救出され、送水口博物館へと運ばれています。(この二枚の写真は村上さんからお借りしました。)
建物がなくなってしまうのはとても悲しいのですが、その思い出を残す送水口たちだけはこの世に、在りし日の姿のまま残ります。
インベーダーたちはもう、陣形を組んで建物を守ることはありませんが、古き良き時代の新橋を思い起こすことのできる象徴として、これからも後世の人たちに見てもらえることになったのです。
7月22日現在、救出はまだ終わっていません。
NO.4の一基がまだ、頑なにその場所を離れないそうです。
「何をするんだ、まだ頑張れるよ」
「仕事をとりあげないで」
と叫んでいるのか。
「どうしてもというのなら建物と一緒に朽ち果てる」
そうこころに決めたのか。
「もう少しだけここにいさせて」
と惜しんでいるのか。
後日ふたたび撤去作業が行われるそうです。
どうか、NO.4が「歴史を伝える」という新たな役目へと静かに、やすらかに移ることができますように。
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