20190820

ようこそソーハクへ、丹羽幸さま伝馬町南店単口送水口

2019年6月28日。
TwitterにてRyo様より情報を頂き、とにもかくにもと名古屋に日帰りですっとんで行ったのが振替休日の7月1日。
丹羽幸関係の皆様にあたたかなお言葉を頂き、送水口博物館館長に具体的な交渉のバトンを渡すことができました。

さて、これが何の話かと言うと、
丹羽幸伝馬町北店、および南店解体に伴う送水口救出】の話なのです。



毎日恒例の「送水口」という言葉でのツイッター検索。
そこで見つけた先ほどのRyoさまのつぶやき。これが全てでした。
丹羽幸伝馬町北店にある須賀様双口、そして南店の三機様マークの単口。
(写真はいずれも2013年のもの)





いずれも緑青輝く超逸品オールドプレートです。そんな名古屋の至宝をむざむざ金属ごみにするわけにはいきません。
という訳で灼熱の名古屋に降り立ち、丹羽幸様に送水口の価値を伝え、取り置きをお願いしたのでした。北店の双口は何とかなりそう…しかし、当日既に南館は囲いで覆われていました。隙間からは、中の様子はあまり見えません。が、建物が壊れているのはわかります。単口は諦めて、その日は帰宅しました。

その後、館長様が交渉を続け…



「単口もとっておいてくれたそうだよ!」と館長様から連絡がきたのが8月5日。
そして翌日、名古屋にて現地集合。
関係各所にお礼に行き、ついに南店の単口を送水口博物館に寄贈して頂くことができました。





素敵な応接室にて待っていてくれたので、すかさず毛布を敷く館長様…


「じゃあ僕、…今から新橋に行きます」
「寂しくなるよ」
「名古屋のことは忘れません」
「元気でな」
「…はい!」
みたいな会話が交わされ…てはいません。





因みにこの日の南店。囲いの上はすっかり青空になっていました。

さよなら、南店


北店はまだ残っていました。


担当の方のお話によれば、北店は戦前の建築であり、GHQに接収された歴史もあるとか。

解体によって現れた建物の裏側には、なんとスクラッチタイルとその下地が見えました。





「えっ、うちに送水口なんてあった?」という現場もある中、丹羽幸様の担当者さまは送水口のことはもちろん把握なさっていて、しかも英語だから貴重なものだよね、と…(涙)
単口も、そして来年新橋にやってくる双口も、きれいにして、送水口博物館で新しい人生を幸せに送ってほしいと思います。
初おひろめについては、送水口博物館のホームページ、または館長様のTwitterなどで告知されると思います。お楽しみに…。

2 件のコメント:

  1. ご無沙汰しています。twitterに投稿したRyoです。後日談を拝見致しました。まだビルがあった北はともかく、南はダメかと思ってましたが皆様の行動力に感服いたしました。北店の双口も確約が取れたとの事で何よりです。
    やはり北も解体が近いようで、囲まれ始めた写真を見るにつけ一企業としても問屋街としても一大変革期を迎えたのだなと感慨深いものがあります。
    応対した担当者氏が送水口をしっかり認識していたという話ですが、やはり繊維製品を扱う商社だけに防火設備に関して扱いが軽くないのかもしれません。先代会長さんが入社式で「タバコをのむ者は手を挙げよ!うちは繊維を扱っておる。火事にならんよう絶対に隠れて吸うな。ええか!」と口を酸っぱくして言っていたのが社史にも記されています。

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    1. Ryoさま、お言葉まで頂戴し、感無量でございます。実際に交渉し、車を出してくださったのは館長さまで、わたしはただの記録係ですが、とにかくこの件に関わることができたということが幸せです。本当に、心からありがとうございます。
      タバコのお話も心打たれました。名古屋も岐阜も、繊維街はだんだん変容してきているのを感じますが、きっと皆様のお心とお力で新しい、一段と進化した局面へと移行しているということと存じます。

      また変化ございましたら報告いたします。今後も宜しくお願い致します。

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