20171126

蒼い衝撃の感動も冷めぬまま向かったのはかつての「赤アクリルの街」金沢  その2:都ホテルのオールドプレートたち

金沢駅の正面に都ホテルという建物があります。
もう営業はしていません。今年(2017年)3月で営業を終了したそうです。

老舗ホテル巡りをしているので、いつかいつかと思いつつ逃してしまい、後悔するばかりなのですが、なんとそこに単口があったという情報を頂きました。えええ、単口!!?

情報を下さったのは、軍団ひとりさんという社会人プロレスラーの方です。
(12月10日に蕨でイベントがあるようですよ~)

というわけでさっそく朝一番で行ってみました。

解体のために囲われてしまっていますが、外観はそのまま。
金沢駅の正面に鎮座する威厳あるこの建物は本当に解体されてしまうのか。


情報を頂いたのは夏でした。
もう見ることはできないかなあとうろうろしていたら…


あっ 

あああああああっ


見えました~~~~~~~~
うわーん、よかった!!!
実は、囲いができても、万一のときのために送水口は使えるようにしているのでは、と密かに思っていたのです。ただ、今回の場合単口だったので半ば諦めていたのです。

すごい、ちゃんと綺麗に外観の一部になっていたのですね…感慨深いです。 

こちらから見て左側の単口

こちらから見て右側の単口


文字部分をアップで。


このタイプ(飾り板が正方形のオールド単口)(文字は貼り付け/機械彫刻)の送水口、およびこれまで不明としていたいくつかの細い機械彫刻文字オールド送水口については、今度まとめようと思っています。

さて。

先ほどの「台場」とは

ホテル併設のお料理屋さんの名前でした。
金沢で台場とはいかに、というとこちらのサイト「金沢歴活」さまに記事がありました。(リンク先をご参照ください)

ホテル側面は廃墟のようになってしまっていますが、

更に歩いていくと、あれれ


まあるい頭の採水口がお出迎え。あらら、こっちにも入口があったのですね。

消防水利があることを示す看板は錆びだらけに。・・・などと言っている場合ではありません。向こう側に何か見えます。

これは!!!

こっちにもいたのか!アルファベット送水口です。

となりにはホーチキさまマークのスプリンクラー用送水口が。

工事は既に始まっていたので、工事現場にいた方に声をかけて入らせていただきました。
とは言えあまりガシガシ撮るのも申し訳なく、今回は少しだけ挨拶をして退却致しました。

角用タイルもきちんとしている丁寧なつくり。
家族が大好きなスクラッチタイルです。
時間の経過にともなう建物の風格の深化を助けているような気がします。


ぐるっと建物の周りをまわっておきましょう。
輝きが少しだけ鈍くなったホテルの看板。

あれれ、ここにも送水口がありますね。

寄って見ましょう。ここまで送水口のためにまわりをがっつり作り込んだスペースというのも珍しいです。さすがに周りはスクラッチタイルではありませんが。



三枚の刃のような弁。丸岡製作所様、あるいは横井製作所様でしょうか。(ぽんたさんに聞かねば!)


ところでこの位置図には件のオールドたちは書いてありません。点検はされているようなのに???
と、ここでもう一カ所「送水口」と書いてありますね。上の図の右下です。
その送水口はこちら。






そうです。勿論ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、位置図や写真でお気付きの通り、増築が行われていたのです。
この黄色で囲んだ部分は増築したところ、赤で囲んだ部分は単口があったところです。
旧建物部分をかかないか、かいても送水口も書いておいて頂けると誤解がなかったのにと思うところです。



解体は九月ごろと言われていたようですが、もう少しの期間は外からこれらの送水口が見られるようです。金沢にいらっしゃることがありましたら、是非ご覧になってください。



20171120

蒼い衝撃の感動も冷めぬまま、向かったのはかつての「赤アクリルの街」金沢 その1「駅ホームの衝撃」

という題名です。長いです。

かつての、というのは、昔ホームページで「金沢は赤アクリルの街だった」という記事を書いたからです。懐かしいです。恥ずかしいです。
金沢へ行くのは三回目。初回は学生のとき、二回目は、ええと2001年かな?職員旅行で行ったのです。団体行動。しかも雪の中。


さて。
今回の収穫をちょっとずつ記録していきます。


えーと、いきなり送水口ではないのですが。

金沢駅のホームにこんなものがあったのですよ。
驚くなという方が無理です。
それにしてもどうして前回気付かなかったのかと思ったら前回は空の旅だったのでした。


上から、接続口の部分。 

上から。ハンドル。開閉弁がついているものはよく見ますがハンドルまで付いているとは。危なくないのかな。みんな回したくなるでしょうに。


キャップは堅いゴム製でした。かぽん、という感じでなんとなく可愛らしいです。 

ありそうでないキャップです。特注でしょうか。 



かなり驚きはしましたが、ふつうホームには消防隊専用放水口のついた屋内消火栓が設置してあるので…ただそれが自立型だっただけ、ということです。
しかし見慣れないことに変わりはなく。一瞬で目が覚めました。




消火器の箱も。


と、こんな感じでやっていたら何回連載しても終わらなそうですが、頑張ります!つづく。



20171104

送水口博物館テレビにでる~

2017年11月4日(土)
送水口博物館がテレビに出ました。
「ぶらり途中下車の旅」。旅人は石丸謙二郎さんです。

次回予告からずっとどきどきしていましたが、とても丁寧な取り扱い方で、送水口博物館の展示のモットーや工夫、よさなどを充分魅せてくださいました。
館長もとってもかっこよく、物産別館の動画まで流して下さって、なんというかもう号泣しかありませんでした。

送水口博物館は、先ず石丸さんのように「そもそもどこにあるの」
「来たけどここでいいの」
「ここに書いてあるけど本当にそうなの」

というところから始まります。
でも、それも「頑張って上がって来たらこんなヒミツのステキな場所があった」という流れになっていたのが嬉しい。
「新橋の美し渋いビルの屋上にある天国」感が醸し出されていました。

出迎える館長さまもスマート。
そしてそのいつもの熱い言葉がちゃんとピックアップされています。
しかも自然な流れで。
「料金はとりません」
「アルファベット表記から漢字表記の送水口への流れを展示」
「展示はもとのビルをできるだけ再現」
「収拾(収集?)でなくて救出」
「先代の業績を後世に遺す」
「こだわりは自分で外す」
などなど・・・

ソーハク(送水口博物館の略称)さくらまつりでのハンナさんの歌や除幕式、
イベントでの磨き体験、(変なTシャツで行ったときの私の背中が映ってしまっていました)など、ソーハクらしいおかしみと愛あふれる雰囲気も伝わったのではないでしょうか。

何より、
「えっ、ここから水が出るんじゃなかったんだ」と、
ちゃんとパネルで送水口の仕組みを解説する場面をカットせずに使ってもらえてよかった~~~それも石丸さんが真摯に驚く様子が素敵だったからではないでしょうか。


どきどきし過ぎてコーナーがおわったあとは放心状態になってしまいましたが、他の場面もとても素敵でした。
初めて知る東京柿、なんとも美味しそうな蕪。味や食感の表現に、もう買うしかないと思わされました。
松葉杖にかける情熱。いつも困った人に向けるやさしい視線。使命感をもった人のかっこよさと凄まじさを感じました。
この間行った築地も面白い観点から紹介されていました。(でも一番衝撃的だったのはフジツボがおいしそうだったこと。こわい。たべたい。)
などなど・・・

誠実なテレビ番組づくりってこういうことなんだなあと、紹介される側やその周りの方々のことも考えてつくるとこうなるんだなあと、思った数十分でした。

楽しかった~~~
日テレすてきです。ありがとうございました。
石丸謙二郎さん、これからも一層ご活躍ください。今後ご出演のものはできるだけ観ます。
そして、ツイッターでともにどきどきしながら呟いていらっしゃった皆様♡
ありがとうございました。
送水口のいちファンとしてこんなにも興奮した土曜の朝はありませんでした。

最後に村上館長、お疲れさまでした。
素敵な時間と場所を、いつもいつもありがとうございます。

20171029

集めると分類したくなりますよね

送水口ナイト、先週無事に終わりました。

関わりがありました全ての方に感謝申し上げます。

ところで私は最近「送水口の頭写真を並べる」ことを趣味としております。
そこで、その紹介と分類をしたことを挨拶で述べさせていただきました。


え?頭?

と仰る方もいらっしゃると思いますので一部を紹介させていただきます。
こちらです。



現在インスタグラムで展開中です。
宜しければそちらもご覧ください。




2016岩手への旅~林丈二氏を追って~③  釜石:釜石市役所の送水口編 

みなさんこんにちは。
昨年、釜石に蛙を見に行って参りました。
などと言っている場合ではなく(錯乱)














あの伝説のロゼッタ送水口、
村上ロゴと名前入りの扇形スーパーレア物件を釜石市役所に見に行ってきたのでした。
はい、もう、すぐにお見せします。
(一年後に言う言葉ではないですが)

憧れ続けたこの送水口。
かの蓋の神様、林丈二さんも撮影し、そして触れたであろう送水口。

真上から。
こちらから見て左側はねじ式のまま。右側は差込のアタッチメントが付けられています。
文字は「SIAMESE.CONNECTION」
軌跡のピリオドを含む、文句なしの村上文字です。

普通壁埋設は、この高さから上に配管するものだと思うのですが、
床下にその一部が見えていました。小さい蛇口が見えるので、水抜が簡単なようにこうしたのかもしれません。

それにしてもぼろぼろですが、

この送水口、こちらから見て玄関の左側にあるのです。そして、

右側はどうなっているかというと、

こんなふうになっていて

このプレートが設置されています。

釜石市役所は、高台に在ります。
送水口はずっとこんなふうに「鉄の都」釜石市を見下ろして暮らしてきたのです。

この風景が、突然津波に襲われたときも
送水口はじっと見つめていたのです。



いくつかの映像をみました。


津波がどんどん迫りきたあの日の映像を。





釜石市役所は、非常に美しいデザインで、市民の誇りであり続けてきたことでしょう。



一つひとつの意匠も手を抜いていません。繊細かつ堂々たるつくりです。

左端の構造は階段室でしょうか。なんともモダンです。



送水口がある左側の壁は、こんなふうに
まるで編み物の目のごとく重厚なスクラッチタイルです。
しかし、このタイルも津波の水しぶきがかかり、
すぐそばの地面に押し寄せた木材がぶつかり、
たくさんの車両や機械の破片に晒されました。


この配管も無事ではいられなかったのかもしれません。

今日本に残る扇形送水口は、現在確認されている範囲で四つしかありません。
その中で、この釜石市役所のものは一番新しいものです。
村上製作所製品として、恐らく第一期のこの扇形プレート。
第二期であろう、新潟大和タイプへの進化の過程が垣間見えるこの送水口は、
消防設備史上でも非常に貴重なものと言えるでしょう。

今、釜石市役所は解体・新築を進めているようです。
建物の老朽化による心配を払しょくし、
より効率的な職場を建設し、
新たなる人々の希望の塔を打ち立てることは
物理的にも心理的にも大きな希望になることでしょう。

けれども、長い間ここから釜石市の発展も、悲しみも、見つめてきた
このスクラッチの壁と扇形の送水口を

どうにかして残していってほしいと思うのです。

話は少し戻りますが、
この送水口の存在を教えてくださったのは、かの路上観察の大家、蓋の神様と言われているあの林丈二さんでした。

市のイベントで来釜したときに発見したそうです。
そして、こんな送水口があるよ、と教えてくださいました。

当時、送水口のブログを作ってはいたものの、老舗二大巨頭であろう二つのメーカーの
CECは建設工業社さまとわかっていたものの、
もう一つのMのマークの持ち主はわかっていませんでした。

一方、横濱ビルに「MURAKAMI」という名前の入った送水口があることは
かなり昔から知っていたのです。

けれどもその二つを結びつける確証はありませんでした。
それを繋げたのがこの釜石市の送水口でした。

そして、その情報をもとに
駅からマンホールさんが株式会社村上製作所を探し当ててくださり
メールを送ったらすぐに「じゃあ来ていいよ」というお返事を下さって
たくさんの送水口のお話をして下さって

ああ、思い出すだけでも涙が出てくるのですが

その数日後には第一号の送水口を救出してくださって
イベント?やろうよ、やってみようよ、と背中を押して下さって

そのあともたくさんの貴重な送水口を、
自社のものではない送水口までも救出して
送水口博物館を設立なさったのです。
また、送水口ナイトというイベントも
実施し、継続することができているのです。

現在、いまはなき
旧ブリヂストン本社ビルの送水口や
旧大和百貨店の送水口や
最近では物産ビル別館の送水口たちを愛でたり、
送水口の話を楽しそうにたくさんの方々とすることができるのは

もとを辿れば
林さんが下さった、一枚の釜石送水口の写真と言えるのです。









もし、釜石市役所が解体されるのならば、
ぜひこの送水口を保存してほしい。


できれば、この錆びたドレンごと・・・。



いつかまたこの場所に行くことになるでしょう。


何を残して、何を変えていくのか。
それは部外者の言えることではありません。
けれど、奇跡のように、関わりをもつことができたこの地のために
もしできることがあれば、していきたいと思う気持ちは本物です。


2016年の夏。
復興は少しずつ進んでいました。



次に行くときまで、
私は私の仕事を、今いる場所でこの国の未来のために全うします。
次に行ったときに、
この送水口に再会するときに、恥ずかしくないように。