20150712

国宝救出 ~ブリヂストン美術館~

実は昨日(2015年7月11日)、あの八重洲の至宝、ブリヂストン美術館の送水口救出作業が行われました。



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ブリヂストン美術館。
終戦後、人々の心を芸術によって豊かにしようと設立された美術館。日本人が忘れてはならない大切な記憶であり業績です。
しかしそれだけではありません。

2013年の拙ブログでの記事 「黄金郷は八重洲にあり」 でも触れましたが、「わが国で初めての高さ制限31mの中での9階建てのビルの建築」であることで、高層階の防火対策が重要になってきたということです。その中で設置された連結送水管送水口は、アメリカの送水口を輸入したものではなく、国産のものでした。

建設工業社様のCECの刻印を背負うその送水口は、余りにも神々しく、送水口ファンの間では至宝、いや国宝と呼ばれてい(るといいなあと思い)ます。


そんな美術館が解体されるという情報を、「ステルススイッチ」のみわさんから教えて頂きました。
そしていろいろあり、(この辺りの詳細はいずれ)なんと日本送水口の歴史の二大巨頭、村上製作所さまと建設工業社さまが中心となってこの送水口を金属ごみへとなる運命から救い出すことになったのです。

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工事用のポールで囲まれ、蓋も外された送水口。
二年前と比べて色が少々くすんできていました。



60年余りという長い長い間、この東京の街を観てきたこの送水口。
ついにその持ち場を離れることになったのです。


先ずは隣にあるスプリンクラー送水口の飾り板が外されます。
こちらはどこの製品でしょうか。見慣れない形の弁であるような気がします。


この飾り板を外したとき、ある事実が発見されました。それが今回の救出劇の成功の一因となったのです。



次に採水口。


・・・・そして、送水口。

これまで行われた西新橋、そして川崎の救出活動に比べて工事は非常にスムーズに行きました。
経験と、そしてチームワークの力を改めて感じた一日でした。
そしてそれを支えたのは「諦めない」「困難が生じても何とかする」という前向きで強靭な村上社長の意志に他なりません。




最後に撤去跡をカバー。
送水痕を丁寧に覆います。




活動は終了、現場を後にします。
 道行く人たちに、「これが最後の姿ですよ!!!!!」と片っ端から声をかけたかった。
観ておいてください、と。



この工事を成功させる上で、積み重ねてきた技術が発揮されたり、
撤去したことで意外な事実が浮かび上がってきたり、


・・・・したのですが、それはまた後日。
送水口ナイトで詳細をお届けできるかと思います。
ここではあまりに長くなりすぎるのと、今は想いが整理しきれていない。
ですから、もう少し時間を・・・ということで。





最後に、個人的に我儘を言ってまいりました。
それはきっと抜け駆けというものですが、いえそうだとわかってはいるのですが・・・
ごめんなさいごめんなさい。


撮影させて頂きましたっ!
ロゴと社名入りヘルメット!!!!!!!!!

そして、ロゴ刺繍つき作業着!!!!

救出作業にうるうるとなりながらも、最後に撮らせてもらおうと虎視眈々としていた私を神様許してください。




(本当に)最後になりますが、今回救出されたサイアミーズ、ハイドラント、SP送水口たちは送水口ナイトでは勿論、秋からも或る形でお見せしたり、触れていただいたりすることができるようになります。乞うご期待!なのです・・・・!!!

20150505

道玄坂のぼっておりて 後編その2(やっと完)



やっと後編です。
というかやっと下ります。




今一つ近寄りがたい看板の陰に・・・。


南北さまの送水口。蓋だけ新しくなっていました。鎖が短く、たゆん、とした感じでないのが残念ですが、文字といいプレートといい、貴重なものと思います。これも磨けばもちろん金ぴかになると思います。


こちらは新しい採水口二つと送水口たち。お客さんをお待ちしているかのようです。


続いてこちら・・はいつも煙草を吸っている方がいてなかなか撮れない送水口。
今回もそばにいらっしゃったので心もち望遠で。


ほとんど埋もれている送水口二つ。
こんなに近くにいるのに分かり合えません。


お供え二つ。
これで扉がついていたら仏壇のようです。

艶のある送水口。
蓋が取れてしまっているのが残念です。横井さまの自立型。

ロゴマーク。横井さまの「ヨ」です。



かなり下ってきました。



こちらは昔からどなたかが磨き続けてきている送水口です。いつみても麗しの輝き。
放水口、と書いてあるのは大阪風です。採水口のことですね。


美しいのでアップで。


残念ながらメーカー様の名前はわかりません。



こちらもぴかぴかです。


勝手に「島津さま」と呼んでいるメーカー様です。これもわかりそうでわかりません。よく見るのですが・・・。


最後にこちら。村上製作所さまのものですが・・・・。



このような駐車場の横にあります。
もっと皆さんに見てほしいのに、写真もアップで撮りたいのに・・・。
場所は後ろにちらっと見える看板でお察しください。



というわけで真冬の日に道玄坂をのぼっておりた記録でした。
ぼうっとしているうちにGWになってしまいましたが・・・。
なかなか素敵な送水口が集まっているルートですので「ひとり送水口ウォーク」にはもってこいかと思います。ぜひにぜひに。

道玄坂のぼっておりて 後編 その1


過去記事で道玄坂の送水口を書きました。
先ずは道の片側の記事を書いたのですが(登り編)、そういえば下りの記事をアップしておりませんでした。
というわけでいまさらですが、お送り致します。



いつもながら文字がとんがっている消火栓機工さまの送水口。落書きはいけませんが、なるほどこれはちょっとお洒落です。何て書いてあるのかは読めませんが・・・。




消火栓機工さまの「まねっこCEC部分」はゆるやかなカーブが付き、上から見ると目のようです。



よく見るとお立ち台に乗っている送水口。床と模様を合わせている丁寧さ。
送水口の上のプレートが謎ではあります。

共成さまマーク。
頭頂部にあるとお供えを(心理的に)しづらいのでよいですね。
そういえば、ここにロゴを打つ(ことがある)メーカー様は共成様とCEC様、それと城南様・・・・でしょうか。


自立型でメーカーロゴがついているとすれば大体ここ。それと稀に首元の鎖留部分。


さて、道玄坂を少し逸れてみます。昭和の風情の重厚感のあるビル。あまりこちらには来ないのですが、今日は久しぶりにご挨拶。

ご無沙汰しておりました。


この額縁。水が逃げるように斜めにデザインされた文字部分。ぴしゃりと石の線に沿って取り付けられた精密さ。相変わらずの美しい、凛とした佇まいです。


この送水口があるのは、こちら。(こんなふうに送水口のあと建書きを撮ってメモにしています。昔はカードの容量が勿体ないので手書きでしたが・・・)

ところでこのビル、境界石(たぶん)が可愛いのです。ナンバーが入っています。しかも石に彫り込んで。




と、こんな感じです。3~5まではありましたが、1と2は見つけられず。
ここにあるはずなのに、という場所には渋谷区の境界石が。取り換えられたのでしょうか。




近くにこのようなプレートもありましたが、こちらは救命道具の降下場所でしょうか。



寄り道編をもう少し。新南平台東急ビルの送水口。


上から見ると三角形に近いほどの豊かな頭頂部。おそらく横井製作所さまの製品かと思われます。


中央がちょっとだけ膨らんでいるL字自立は南北様のものであることが多いです。岸本様もLですが、頭がぽこんと出ているのが特徴と言えるでしょう。


近くには、副業を与えられ過ぎて困惑気味の子がいました。


こちらは・・・。使いづらそうな位置にありますが、お洒落仕上げです。

この頃流行りのプレート無しタイプ。


道玄坂に戻ってきました。ただいま。


私は、このシンプルな表示が割と好きなのですが、どうもこれは褪色のせい。
もともとは「送水口」の文字の彫りこみ部分に赤い塗装がなされていたようです。
初めからこのデザインではなかったかもしれない、ということです。確かに目立ちにくいですものね。

寄り道の結果、まだ下ることができていません。ご紹介したいものはまだあるのに・・というわけで後編その2へと続きます。

20150429

原宿の15年間 後編

今回は、現在の姿→15年前の姿、という流れでご紹介します。


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さて。
ここはどこかというと、東急プラザのある神宮前交差点です。
とんでもない人通りの交差点ですが、一歩路地へ入るとこのような送水口があります。


ここにある送水口。実は原宿その1で取り上げた元ぴかぴか送水口と同じビルの裏手にあるものなのです。
正面から見るとこんな感じ。
色合い、似ています。

 ということはかつては・・・・・。







このような姿でした!

自分も写りこんでいて何というかいろいろな意味で恥ずかしいのですが、そして、お見苦しくて申し訳ないのですが、何せ昔のデータはちょっぴりしかないのでご了承ください。
(カメラは・・・うううむ、Finepixでしょうか)

さきほどと同じ角度からの写真はこちら。ホース接続口もゆったりと滑らかで美しいこと。


今回改めて細部を見ると、99年に認定された型でした。 あくまでも認定年であり、設置年を意味するわけではありませんが、私が見たのができたてほやほやの状態であったことはほぼ間違いありません。

このような裏手にまで金色の送水口を設置するとは、送水口的にはよい時代だったということでしょう。
この送水口の奥には駐車場があり、そちらも数メートル先の大喧噪とは裏腹にひっそりしているのですが、贅沢なデザインが施されていました。溜息です。


そして、今回再会して驚いたのは、施工会社さまの名前が貼ってあったこと。
他のものにも見えるところに貼って欲しいです。メーカー様名とともに・・・。 



さて、次は老舗二つに登場して頂きます。
先ずはこちらの送水口を。こういうところに住んでみた・・・い・・・けど、住んだら大変そうです。(住めませんが)
この枠、文字、そして捻子の膨らみ。帝国ホテルの送水口と見まごうばかり。
そうです、村上製作所さまのものです。

珍らしくも文字がプレート後付です。しかも防火栓表示。

頑張った跡がありますが、新しいのを購入してほしいところです。

「送」がない・・・   ですが、プが可愛いです。かわいすぎます。何かにうけているかのようです。

「送」が白い・・(正しくは緑青い・・・)


15年前はというと。

既にこの色でした。
キャップが新品です。防火栓のプレートは寧ろこの後磨かれたということですね。


一番左のキャップがありません。こちらはちゃんと新しくしていたということです。「送」はこのころからなかったのですね。


村上様ときたら、次はCEC様です。

所謂「億ション」第一号として有名なこちら。


右側の弾頭型防火栓の美しさ。納得の純正品です。




こちらが15年前の姿。
残念ながら防火栓の全体像を撮影していません。
データが残っていなかったのか、人の多さに怯んだのか。
それはともかく、位置関係が変わっていたことがわかりました。
単に左右が、ということだけでなく、何となく防火栓の位置が違うような・・・・?
しかしそれは不可能でしょう。謎です。



こちらは新品に取り替えられる前の送水口。
捻子留めしてあるCECならではのホース接続口はしっかり撮影。
縦書き送水口ラベルを貼られてしまうだけで風情が損なわれてしまっているのが切ないです・・。


それと、前回の記事中、鎖の使用法として「類を見ない」と書いたばかりで恐縮ですが、なんとその送水口のビルの正面にある送水口で同じ方法が採用されていました。
謹んでお詫び致します。





以上、送水口で原宿タイムトリップでした。