コロナ禍の時に、どうしても書いておこうと思った文章をXからたまたま発掘したので載せておきます。
筋道だった文章ではないのですが、ネットの海に沈む前にすくいあげておきます。いつか消すかもしれません。
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送水口は厳格に規格化されてきた製品です。工業技術の発展に恩恵を受け、自治体に応じたルールの中で存在しています。
建築に関わるが故に時代の影響を受け、風景に影響を及ぼしてきました。
人の営みの影響を受け、幾人かの人生に影響を及ぼしてきました。
送水口は 群であり個。 俗であり孤高。
そもそも送水口は工業製品なので、観察者としての我々がその対象として分類する以前に、生まれ落ちた時点で名付けられ、整理されています。型録もある。
それでも尚わたしが日本中を放浪し、出会う送水口を片っ端から撮影せざるを得ないのには理由があります。
一つ目は、【刻々と変わりゆく現在】という平面に関すること。概念の地図上で不規則に点滅する送水口一つひとつを確認するという感じです。
二つ目の理由は、歴史の狭間に失われていく送水口にほんの一瞬でも出会っておきたいから。もはや新たに製造されることのない銅鋳物の貫禄には胸を打たれます。
かつて建物の表玄関でプライドを体現していた、その重さ故です。飾り板のアルファベットからは種としての来歴に想いを馳せることができます。
そして、三つめの理由。それは、一つ目と二つ目の理由に関する活動をしている自分と、メーカー様をはじめ、その活動を支えてくださっている人々の営みをまるごと見つめ、理解したいからであるような気がします。
自分のことを知りたいというのではなく、自分の目を通して送水口というものの総体、全体像を知りたいという方が近いかもしれません。
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