父が津軽の人でした。
中学を出て東京に来て、洗濯屋さん に見習いに入りました。
母と結婚して自分のお店をもちま したがいつも心は津軽にあったようです。
毎年夏には車で 青森に行きました。
当時まだ東北道は青森まで繋がってい なかったので岩手からが大変だったのを覚えています。
青森に、私が、そして父も行かなくなったのはいつからだったでしょう。
だんだんと仕事に追われ、体調を崩し、二度と足を踏み入れることのないまま永い眠りにつきました。
いつかもう一度行きたいと思っていた青森。
今年の夏にとうとう実現させました。
父を巡る旅路は、
・・・・・・・・・ひとまず置いておくとして、青森の送水口です。
先ずは八戸。
八戸と言えば朝市!・・・ということは八戸を訪れる直前に八戸出身の友達に聞いて知りました。
「“いさばのかっちゃ”と呼ばれるおばちゃんの言葉は俺にもわからん」と言われ、
ほうそんな人たちがいるのか、と。
いやいや私も小さい頃津軽弁の嵐にもまれたんだから、と
勇んで行ったらまったく何一つわからなかった朝市。
生きのいい魚や野菜だけでなく車まで売っていた朝市。
楽しい思い出でした・・・・・・。
そんな八戸で見つけた送水口。
壁埋込露出Y型、昭和60年ものです。
「定礎」をこのように一緒に設置してくれると設置年代がすぐわかるので助かります。
もちろん改修されたときに送水口を変えるということはままあることで、全面的にそれを信頼するわけにはいきませんが。
それはともかく正楷書体のような「送水口」の文字や丸プレートなど、ちょっと見昭和40年代もののような味わいです。ここの場合は設置壁面のみ最近改修が入ったのでしょう。送水口と定礎プレートが浮いてしまっているのが勿体ないところです。
続いてこれも壁埋込、露出Y型。古いものにはこのように接続口を球体から生やしたようなデザインのものがあり、見つけると嬉しくなります。
一般的な壁埋設角プレートの送水口で縦に二つならんでいるのは時折見かけますが、このタイプで縦に並んでいるのは珍しい。しかも上下でデザインが少しずつ違う。
鎖も違うのです。スプリンクラー標示の方は既に色が褪せているところとデザインを見るとそちらの方が古いような気もしますが、接地面や接続口は同じような感じ。まあ鎖部分はおそらくどちらも一度異なる時期に取り替えたのであろうとしてもいろいろと謎めいた物件ではあります。
そして勿論美しい。ずっと見ていても飽きない。こういう送水口が残っている八戸、いい町です。
壁埋設を二つ続けましたが、八戸はそれだけではありません。
キャップが歯車型のスタンド(自立)型。
丸い頭部。標示はありませんが現役です。
鎖は送水口としては常軌を逸する長さで、なぜか足下に繋がっていました。
蛇足ですが、歯車キャップを見つけると上機嫌になります。
蛇足ですが、これを撮影したとき酔っぱらっていたので真っ黒な写真しか撮れていませんでした。よって周囲の観察結果を今ひとつ覚えておりません。残念です。
ただ八戸のお酒は美味しかったです。しこたま飲みました。そちらは悔いなしです。
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